西郷孤月という日本画家のこと


 手元に『孤月研究ノート』という本がある。副題が「西郷孤月没後百年記念」とあって、また「孤月会20年の歩み」とも付されている。2013年に松本市の孤月会が編集・発行となっている。
 西郷孤月は知る人が多くない日本画家なのだった。孤月は橋本雅邦の弟子で、横山大観、下村観山、菱田春草らとともに四天王と呼ばれた。雅邦に気に入られてその娘と結婚したほどだった。写真で見ると娘が惚れたのだろうと思わせるほどハンサムに見える。しかしハンサムな男の常で、周りの娘たちが放っておかないこともあるのだろう、遊びまくってついに1年もしないうちに離縁となってしまった。天下の雅邦の怒りを買ったのは仕方ないだろう。東京を離れ地方を回っていたが、ついに台湾にまで流れていったりした。結局明治45年、38歳で亡くなる。春草が亡くなった翌年だった。大観、観山、春草に比べ零落した一生だった。
 私が孤月について知っていたのは、カミさんの母親が西郷家の出身だったからだ。孤月には子供がいなかったから、西郷一族の出身ということになる。松本へ帰省した折などは城山にあった西郷家の墓参りもしたことだった。
 今回あらためてこの本を開いてみたら、信濃毎日新聞の伊藤正大氏の「私の西郷孤月」という文章が載っていることに気がついた。伊藤氏は以前、信濃毎日新聞にわが師山本弘について温かい一文を載せてくれたことがあった。不思議な縁を感じた。ほかに義父曽根原正次の「西郷孤月の親族のこと」という文章が載っている。さらに孤月会の年譜を見ると、義父は孤月について何度も講演をしているらしい。

 また孤月の写真が掲載されている。その写真がカミさんの弟によく似ていて驚いた。直系ではないし、年代もずいぶん離れているのにと思ったが、コンラート・ローレンツの『人イヌに会う』(ハヤカワ文庫)を思い出した。これはノーベル賞を受賞した動物生態学者が動物の生態を描いた作品で、同じ著者の『ソロモンの指輪』には一歩を譲るもののきわめて面白い。その犬の個性を論じているところ、

 個性を誇大にいわれる人類にあっても、型は遺伝によってみごとに保存されている。(中略)私の子どもの一人に、4人の祖父母たちの性格の特質が、つぎつぎと、ときとして一度にあらわれるのを見て、私はしばしば神秘の念に打たれた――生者のあいだに死者の霊を見たかのように、私が曾祖父母を知っていたら、おそらくその存在をも子どもたちのなかに発見しただろうし、それらが奇妙にまざりあって、私の子どもの子どもたちにつたえられていくのをみることになったかもしれない。
 私は、みるからに無邪気で、素直な性質をもったちびの雌イヌのスージー――その先祖のほとんどを知っている――をみると、いつも死と不滅についてのそのような思いにかられるのである。私たちの飼育所では、やむをえず、許されるかぎりの同系交配が行われているからである。が、個々のイヌの性格の特性は、人間のそれとは比較にならぬほど単純であり、したがってそれが子孫の個体の特性と結びついてあらわれるときにいっそう顕著であるので、先祖の性格の特性のすべての再現は、人間における場合にくらべて、はかり知れぬほどはっきりしている。動物においては、先祖からうけついだ資質が個体として獲得したものによっておおいつくされる度合いが人間よりも低く、先祖の魂はいっそう直接的に生きている子孫に残され、死んだものの性格は、はるかに明白な生きた表現をとるのである。

 孤月の容貌が遠く離れた義弟に発現したことを不思議に思っても、何らあり得ないことではないのである。


人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)