朝日新聞のコラム「うたをよむ」に河野裕子の最後の歌が紹介されていた(11月1日付け)。江戸雪が「時空を超える孤独」で書いている。
耳底にゆふべの水のひかるごと明日は死ぬべき蝉を聴きしか 『ひるがほ』
暗がりを蜀もてひとり歩むがに身をかがめ聞くひとつかなかな 『蝉声』
死後十年を迎えた河野裕子。一首目は二十代の、出産の時に詠われた。地上で鳴く時間の短さゆえに「ひかる」蝉の声。二首目は最晩年の歌で、病身に染み通ってゆく「かなかな」の声は読者の心に静寂を運ぶ。不思議と二首の間にある四十年の月日を感じない。ひとが長年をかけて知るこの世の明暗を、河野は早くから知っていたのだと思う。(中略)
八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る 『蝉声』
亡くなる前日の歌。やはり蝉の声を聞いている。まもなく消えてしまう予感のなか、歌によって生命の在り処(ありか)を問うているのだ。最後まで詠い切ろうとする意志。その覚悟と迫力のまま河野裕子は今も歌のなかに生き続けている。
そうか、亡くなる前日までこんなにも明晰な意識があるのか! 何となく何日もかけて意識が遠のいていくのかと思っていた。命は断ち切れるようになくなるのか。