司馬遼太郎『この国のかたち 二』(文春文庫)を読む。『文藝春秋』の巻頭言として連載したものを24回分まとめている。単行本は30年前に出たものだが内容は古びていない。
この巻頭言は時事的なものではなく、日本の歴史、文化を毎回原稿用紙10枚ほどにまとめている。短いなかにきわめて要領よくダイジェストしてみせてくれる。
幕府直轄の天領では年貢が安く四公六民で年貢が4割だった。対して大名領の年貢は厳しく、紀州では八公二民にまでのぼった。天領のあとを訪ねると農村の風(ふう)がのんびりして、町方は往年の富の蓄積を感じさせる。
「華厳」の章で日本への仏教の導入が語られる。奈良時代は仏教の時代だったが、体系的な思想としては華厳経だけで、それも奈良時代の遅い時期に入った。その後渡唐した最澄と空海がもたらした仏典によって平安仏教が開かれた。空海が展開した真言密教は教主を釈迦でなく大日如来としている。のちに新しい絶対者として阿弥陀如来が出現し、鎌倉時代親鸞によって絶対者とされることで仏教は徹底的に日本化した。
西郷隆盛が新政府を捨てて鹿児島に帰り、のち西南戦争が始まったのは山縣有朋が関与した汚職事件を嫌ったためだった。井上馨も元南部藩の尾花沢鉱山を私物化した。江藤新平がこれを調査したが、佐賀に帰って不平士族に担がれて乱を起こして敗死したため事件の調べは縮小してしまった。だが、彼らの乱の結果、明治が終わるまでほとんど汚職事件はなかった。
「会社的”公”」の章で、会社は私企業であり営利法人だが、日本人の場合、そのなかに入って働きはじめると、会社に”公”を感じるところがある。そして「日本の場合、会社の従業員たちは、社長という自然人にやとわれているのではなく、法人に参加しているとおもっている」と続ける。続けて、
(……)いちばんたちがわるいのは、法人の一奉公人であるべき社長が、なまな自然人にもどって、野干(やかん)のように法人を強姦するような例である。こういう下郎を社長にもっては、会社を”公”だとおもっている社員にとって、たまったものではない。
野干は狐の異称。いや、たまったものではなかった。
空海と最澄について。空海の思想があまりにも完璧だったために、弟子たちはひたすら空海をお大師さんとして仰ぐしかなかった。優秀な弟子が生まれなかった。最澄は唐から天台宗をもたらしたが、その膨大な経典や解釈などの資料を整理したり体系化したりするゆとりのないまま死んだ。弟子たちはそれぞれが自分流に研究し、その結果鎌倉時代に日本独自の仏教が開花した。最澄の開いた叡山から法然、親鸞、日蓮が出た。栄西や道元も叡山で学んだ人たちだった。
浄土真宗の東本願寺は明治になって教団の金で秀才に学費を出して勉強させた。その援助で清沢満之はヘーゲルを学び、ヘーゲルの弁証法で仏教思想と親鸞思想を基礎づけ、哲学的に近代化した。清沢の新解釈によって親鸞の『歎異抄』が昭和初年以後、知識人にとって新鮮な書として印象づけられた。
どの章も原稿用紙10枚という短さなので、食い足りない感じのところもあるが、その分量でこれだけ言い切ることができるのは司馬の優れた知性による。このシリーズは全6巻となっている。まだ4冊もあるので楽しみだ。