中沢新一『熊楠の星の時間』を読む

 中沢新一『熊楠の星の時間』(講談社選書メチエ)を読む。中沢が行った南方熊楠に関する5回の講演を記録したもの。熊楠に関するものとはいえ、講演録なので言葉はやさしく読みやすい。しかし、テーマが熊楠の特異な思想を取り上げているので内容はかなり難しい。
 ヨーロッパの学問は「ロゴス」に基づいた体系をなしている。中沢が学んだチベット仏教では『般若心経』を繰り返し読んでいく。そこには「不生不滅」という、生じるのでもなく滅するのでもない、存在するのではなく非存在するのでもない東洋独自の論理がある。それをギリシャ哲学では「レンマ」と呼ぶ。レンマは「物事を抽象的に理解するのではなく、具体的に直観的に理解することを意味する」が、ギリシャ哲学ではそれを展開することはなかった。
 レンマの学を実際に打ち立てたのは仏教だったという。仏教ではロゴスの中心になっている、同一律矛盾律排中律の3つの法則を否定した。そういう思考を徹底させたナーガールジュナ(龍樹)はそこで、生滅(存在と非存在)、断常(非連続と連続)、一異(一と多様)、来出、というロゴスの導き出した4つの世界現象のあり方を徹底的に否定し、不生不滅、不断不常、不一不異、不来不出こそが現象の真のあり方であると主張した。
 そして世界をレンマ的、直観的に把握するために、瞑想訓練が組み入れられ、具体的には言語の働きを停止させるヨガを行う。それによって世界の実相を見届けようとする。すると、ロゴスの知性作用によって「因果関係」を認められた現象の奥に、因果関係で結びつけられていない偶然性(蓋然性)の自由な運動として、この世界がつくられている様子が直観的に把握できるようになる。
 中沢は3年にわたるチベットの仏教僧院での体験から、熊楠の考えていたような「東洋の学問」は実在すると確信する。それはヨーロッパの「ロゴスの学」の体系でえはなく、「レンマ」による学の体系だという。熊楠は『華厳経』の体系を重視し、華厳の学がレンマの学の一つの頂点を示すと考えていた。
 雑駁な要約だが、熊楠の思想が単なる民俗学にとどまらずきわめて長い射程を持っていることを示している。難解で分からないながらも続けて読んでいこう。

熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)

熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)