山本弘の作品解説(97)「(題不詳)」

f:id:mmpolo:20200507230449j:plain

 山本弘「(題不詳)」、油彩、F6号(31.7cm×41.0cm)
 制作年不明、画風とサインからおそらく最晩年のもの、1977年か1978年ではないか。だとすれば山本弘47歳か48歳だろう。
 幼い子供を描いている。誇張されているが娘の湘の面影が見られる。湘ならばこの頃6歳か7歳だった。
 地塗りの上に荒っぽい筆使いで人の形が描かれているが、地色が透けて見えるくらい薄塗りだ。ところどころ地塗りがそのままになっている。それに対して顔と思われる中央の白は絵具がぶ厚く盛り上がって塗られている。針生一郎さんが、この人はどこでフォートリエを学んだのだろうと呟かれた。それはこの絵ではなかったと思うが、この絵にもフォートリエを思わせるところがある。
 この頃山本は小ぎれいに画面をまとめようとはしなくなっていた。おそらく大きな丸い頭=顔が幼児の本質で、だから子供を描くなら大きな頭を画面の中央に据えて、絵具もそこを盛り上げれば良いとしたのではないか。
 「作品解説(2)」として取り上げた「塀」には明らかなデュビュッフェの影響が認められた。だから山本の作品にデュビュッフェやフォートリエの影響を見ることは何ら唐突ではないのだ。確かに影響だが、それを自己の方法として完全に消化している。
 考えてみればそれは凄いことではないだろうか。東京から遠く離れて、長野県の一地方で社会主義リアリズム系の仲間に囲まれて、ただ一人フォートリエやデュビュッフェに通じる道を歩んでいたのは。
 山本が尊敬していた先輩は小原泫祐や関龍夫だったが、小原はむしろシケイロスなどメキシコ画家寄りの画風だったし、関は油彩で墨絵の空間を目指していた。山本は孤独だったに違いない。酒びたりにならざるを得なかったのかもしれない。誰からも理解されない、売れることもないところで数百点の油彩を描き続けるというのは、どんなに強靭な精神だったのか。