椋鳩十の顔について

 コロナ禍で家にこもっていて古い写真を整理していると昔撮った椋鳩十銅像写真がでてきた。椋鳩十は長野県喬木村出身の童話作家。本名久保田彦穂、1905-1987。母親を早くに亡くし、継母との折り合いが悪く、法政大学文学部卒業後鹿児島の女学校へ赴任し、故郷へはあまり帰らなかった。鹿児島を第二の故郷とし、鹿児島県立図書館長を長く務めた。晩年故郷の生地へ家を建てて住みたいと思ったが、土地は人手に渡っていて近くの土地を手に入れてそれで満足しなければならなかった。
 私も椋と同じ喬木村の出身で、私の母は椋鳩十より16歳年下だが、子どもの頃椋を身近に見ていたと言う。学生の頃の彦穂さは髪を肩まで伸ばしていた。母の生家がすぐ近くだったのだ。私は子どもの頃椋の童話をあまりよく読んだ記憶がない。少しは読んだだろうが。20歳前後の乱読の頃、ようやく椋も読んだ。そこに掲載してある作家の顔写真を見て驚いた。私の祖父によく似ているのだ。同じ村の住人というだけで二人に血縁関係はない。ただ生家が数百メートルという近さなのだ。おそらく昔から村内での結婚が繰り返されたのだろう。血が濃く村の顔ができているのだ。椋鳩十の顔は村の顔の典型的な一つなのだろう。
 竹下首相のとき、故郷創生基金で市町村に1億円をばらまいた。喬木村はそれを使って椋鳩十記念館を作った。母がお参りに行ってきたよと言っていた。佐倉惣五郎神社とごっちゃになったのかもしれない。記念館は喬木村図書館を兼ねている。
 創画会元会長で多摩美術大学教授だった滝沢具幸さんは喬木村の隣の飯田市出身、現在飯田市美術博物館の館長でもある。滝沢さんの容貌や姿が飯田地方出身者の特徴を備えていると思っていたが、ある時話したらお母さんが喬木村の出身ということだった。
 それで思い出したのが諏訪地方の出身者の顔かたちだ。諏訪地方も諏訪湖を囲む盆地で、おそらく地域内での婚姻が多かったのではないか。独特の顔をしている。典型的なのは藤森照信と辰野登恵子で、共通するのは丸顔にどんぐり眼、厚い唇だ。飯田地方、諏訪地方ともに閉じた地形なので、よその血が入りにくくその地方の顔ができるのではないだろうか。
 そういえば、昔高校の友人に連れられて神田の飲み屋に行ったことがある。一人で切り盛りしている主人が同郷の人だからと。だが、その顔は飯田地方の顔ではなかった。飯田はどちらの御出身ですかと問うと、いや自分は飯田の中を転々としたからと答えを濁された。主人が奥へ入ったときに友人が、バカそんなこと訊くな、彼は在日の人なんだと言った。在日か土着か私には分らなかったが、慣れ親しんだ飯田地方の顔ではなかった。

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・生家近くの墓地に建つ椋鳩十銅像、作者は中村晋也

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椋鳩十の顔(トリップアドバイザー提供)

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・私の祖父の写真はないので、代わりに祖父に似ていると言われる私の写真。後ろの絵は山本弘が描いた20歳の私