シジフォスの辛さ

 NKHの番組「やわらかアタマが世界を救うスペシャル!」を見ていたら、受験生に勉強の意欲をかきたてるためのボールペンが紹介されていた。インクが入っている芯にインクの残量が分かる目盛りを入れている。毎日その目盛りを見れば、自分がどんなに勉強したか自覚できるからやる気が出るのだと言う。
 そのことは私にはよく分かった。もう50年前、私は日産自動車座間工場でプレス工として働いていた。それ以前にも飯場に入って舗装土方をしたり、屋台のテキヤをしたり、高田馬場の「ヤマ」に通って日雇い土方や、山谷で24時間連続労働もしたことがあった。それらに比べても日産自動車のプレス工は過酷な労働だった。
 当時工員は基本10時間労働に組み込まれていた。8時間労働に自動的に2時間の残業が基本だった。定時で帰るためには始業時に上司にその旨申請しなければならない。特別な用事がなければ誰も定時では帰らなかった。
 仕事は10時間ベルトコンベヤーの横で同じ動作を3,000回ほど繰り返す、まさにチャップリンのモダンタイムズの世界だ。ちょっとミスするとたちまち製品が貯まってしまう。コンベヤーのラインの仲間に迷惑をかけてしまう。しかし何千回も同じ動作を繰り返しているのもシジフォスのようで空しい。途中カウンターを見るのが唯一の楽しみだった。作業回数が数字で表されているから、その進展ぶりで自分がシジフォスでないことがわずかに確認できるのだ。繰り返している動作に何らかの進展があると思えないとそれは苦しいものなのだ。
 私が担当していたのは乗用車のフェンダー(側板)をプレスする仕事だった。3×6(サブロク)くらいの大きな鉄板を何トンもの圧力でプレスする機械に一発で投げ入れる。1枚の鉄板がプレスの過程を経て決まった形になり、それが次の工程で切り抜かれ、窓が作られ穴があけられる。形が徐々に複雑になっていく。それをプレス機の決まった位置に一発で投げ入れる。ちょっとでもずれてはいけない。ずれたら手を伸ばして修正する。その1秒間ほどの修正の時間が何回か重なると前のコンベアーから流れてくる次の製品が貯まってしまう。それを取り除けているとさらに製品が貯まる。流れ作業が止まって仲間に迷惑がかかってしまう。
 だから正確にプレス機に投げ入れなければならない。そんな作業を1日10時間で3000回繰り返していた。プレス機の音は大きく話声どころか電話のベルの音も聞こえなくて、内線電話の着信はランプの点滅で知らせていた。わずかな楽しみが作業量を示すカウンターだった。もう1000回だ、2000回に達した、と。
 シジフォスも大岩を転がす回数が決まっていて、それがカウンターで示されたらさほど不条理を感じなくて済んだのではないかと私の経験から想像できる。これは50年前の経験なので最近はロボットも導入されてずいぶん改善されているのだろうなあ。