菅孝行『三島由紀夫と天皇』を読む

 菅孝行三島由紀夫天皇』(平凡社新書)を読む。1970年11月25日、三島は市ヶ谷の自衛隊東部方面総監室で自刃した。管はその理由を探って三島の小説を読み込んでいく。そして菅は三島の多くの作品が、2.26事件の蹶起将校たちや特攻隊員たちを裏切った昭和天皇への矛盾する思いを描いたものだという。


 三島の『サド侯爵夫人』について、「共犯者」としてのアルフォンスは死に、裏切ったアルフォンスが生還する。だから、ルネはアルフォンスに愛想尽かしをして、余生を修道院で送る、というわけである。三島は、ルネを三島本人に、「共犯者」アルフォンスを理想の天皇に、「裏切者」アルフォンスを敗戦後の天皇の実像に、モントルイユ伯爵夫人を、いつの世にも己の権益と名誉を守ることを正義と装う上流階級の俗物群に重ねた。 

 

 三島は自衛隊東部方面軍総監室で総監を拘束し、自衛隊員を中庭に集めてバルコニーから演説した。クーデターに蹶起せよと。しかし自衛隊員は蹶起せず、三島に罵言を浴びせる。

 これほどことばが語りかける相手に当たらないのは、実は眼前にいるのが三島の相手ではないからではあるまいか。蹶起の煽動が成功しなかったから割腹したという、巷間伝えられた筋書きは実は誤りなのではないか。三島たちの言動が呼びかけている先は、自衛隊員でもなく東部方面総監でもなく、三島が許容し難いと考えた戦後秩序の堕落の総体に責任を負う天皇裕仁であったと私は考えている。

 大胆で驚くべき提言だが、読んでいて深く説得された。『金閣寺』も『絹と明察』も『憂国』も『英霊の声』も、みな昭和天皇と三島自身とのアンビバレンツな葛藤から生まれている。自裁した三島を分析して誰よりも説得力があると感じられた。

 

 

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)

三島由紀夫と天皇 (平凡社新書)