『ありがさき 第2号』より

 いつもはあまり見ない居間の本棚に『ありがさき 第2号』という歌集が挟まれていた。編集発行 松本市蟻ケ崎北町短歌会となっている。会員9人の短歌が集められている。義母曽根原嘉代子の作品もあった。そこからいくつか拾ってみる。

  皮の手袋


なんとまあ背丈伸びゆく女の孫が
    履くてふ靴の大きなること


母の掌に馴染みし皮の手袋の
    わが掌の型になりて久しき


対話なき日日の淋しさ叔母は言ひ
    声聞きたしと泣けり電話に


山椒の葉摘みては食すわたくしは
    いつか羽化して蝶になりなむ


潮を吹く浅蜊に耳がありそうで
    息ひそめつつバケツを覗く


キムチ教へてくれし隣人の
    李さん遠くアメリカに老ゆ


旅に出ず深く学ばず朝夕を
    あはれ厨房に絶望もせず


ていねいに週刊誌読み診察を
    待ちゐる無為もわたくしのもの


もの乞いの形に諸手さし出し
    センサー蛇口に水しばし待つ


木にすがり鳴きゐし蝉のはたと止み
    今朝は骸となるを掃きよす


うしろより声かけられつ自らの
    知らざる姿人は知りいて


あじさいの葉の面に光るひとすじの
    路をえがきて蝸牛ゆく


地に還るものはひそけし羽透きて
    木下にまろぶ落蝉ひとつ


階段の途中ではたと足を止む
    何しにここまで登って来たのか

 靴が大きくなった女の孫は身長も5尺5寸になった。アメリカへ行った李さんのキムチは絶品だった。ここには載っていないが、私が好きな義母の短歌は、


一片の骨(こつ)だにあらぬ兄の墓学徒の帽子深く埋もる

 その墓も、伯母が詠んだ


雲 の 峰 越 え て 移 す や 父 祖 の 墓   武澤林子

のように今は秩父に移された。