学徒の帽子ふかく埋もる

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 36年前の今日、朝日新聞の朝日歌壇欄に義母の短歌が掲載されているのを見つけた。

 

いっ片の骨(こつ)だに在らぬ兄の墓学徒の帽子ふかく埋もる

                 (松本市) 曽根原嘉代子

 

 カミさんの伯父宏さんは昭和19年海軍技術将校としてボルネオ・タラカン島に赴任し石油掘削の仕事に従事していた。しかし終戦後同島で捕虜生活を送るなか、昭和20年10月14日病気のため亡くなった。27歳だった。遺骨は帰ってこなかった。

 義母にとって宏さんは夫の兄にあたり、その遺骨が戻らなかったので学帽を遺骨代わりに墓に収めていることを詠っている。義母の歌のなかでも優れた一首だと思う。

 義母は強い性格の人だった。長く保護司の仕事をしていた。保護司とは「非常勤の国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする」(Wikipedia)で、元犯罪者と恒常的に接する仕事だ。生半可な気持ちでは務まらない。

 私がカミさんと結婚するに当たって、学歴も仕事も義母の価値観に合わなかったため反対された。しかし結婚して数年後、私の知らないところで、うちの婿は当りだったねと言っていたと聞いた。厳しい義母だったが私は好きだった。

 8年前に亡くなったが、3月10日が命日で忘れることはない。