大高保二郎『ベラスケス』を読む

 大高保二郎『ベラスケス』(岩波新書)を読む。画家ベラスケスのきわめてすぐれた伝記だ。ベラスケスの詳しい伝記であり、同時にベラスケス美術論でもある。ベラスケスの活躍した時代を描き、ベラスケスがどのような出自、どのような環境であのような傑作を生みだしたのかを説得力を持って明らかにしている。新書という体裁に分厚い単行本のような内容を盛り込んでいる。口絵のカラー図版が8ページに20点収録されているが、その選択が適切ですばらしい。新書の口絵だから図版が小さいのは我慢しなければならないが、それ以外はほとんど完璧なベラスケス伝だと言っていいだろう。
 ベラスケスは若くして王付き画家に指名される。やがて24歳で宮廷画家に取り立てられ、仕えたフェリペ4世に高く評価される。同時にベラスケスは王の身近な用事を差配する廷臣へと取り立てられ、最後は貴族にまで列せられる。
 後世、印象派のマネはベラスケスとゴヤを絶賛する。プラド美術館で初めてベラスケスを見たマネは友人に手紙を書く。

「親愛なる友へ。(中略)ベラスケス、ただ彼だけでも旅行に値します。あらゆる画派の画家たちがマドリードのこの美術館で彼を取り巻いており、そこではとてもよく展覧されているのですが、しかしすべては見せかけのようです。彼こそ画家たちの画家なのです。彼はわたしを驚かせたのではなく、わたしを虜にしたのです。(中略)このすばらしい芸術の驚くべき1作、おそらくだれもが決してなし得なかった絵画の驚くべき1作こそ、カタログでフェリペ4世時代の有名な役者の肖像として記載された絵画です。背景は消える。黒い服を着て、生けるがごときこの善良な男を包んでいるのは空気なのです。」

 これこそマネの「笛吹きの少年」の「原画」ではないか。
 またフランシスコ・ベーコンが激しくデフォルメした「ベラスケスによる教皇イノケンティウス10世の肖像に基づく習作」の原画であるベラスケスの作品について大高が書く。

 画面は醜男で知られたこの猊下の容貌を一瞬にしてとらえており、激しい猜疑心と嫉妬、強い現世浴、また聖務への不撓不屈の情熱など、およそ教皇らしからぬ複雑で屈折したモデルの全人格が余すところなく暴かれている。半面、ボッロミーニなど有能な芸術家たちの優れた庇護者であり、感受性豊かな教養人でもあったという肯定的な人物評も残されている。いずれが真実であろうか。

 「ピンクのマルガリータ王女」について、

……衣装の襞、ブロンドの髪や緑のリボンは近くで見れば色彩のしみに過ぎない。しかし距離をおけば、完璧なイメージが見る者の網膜上に映じる。まさしく近代的な視覚であろう。

 先月見た向井潤吉もまさにそうだったことを思い出す。
 最後に絵画史上の傑作と言われている「ラス・メニーナス」と晩年の代表作「アラクネの寓話」が詳しく分析される。ベラスケスの出自が改宗ユダヤ人であったこと、それを隠し出世の道を選んだこと、底辺の者たちへのやさしい視線がそれに由来するだろうこと、さらにそのベラスケスの血筋が現在のスペイン国王フェリペ6世につながることまでも書かれている。見事なベラスケス伝を読んだ満足感が残っている。



ベラスケス 宮廷のなかの革命者 (岩波新書)

ベラスケス 宮廷のなかの革命者 (岩波新書)