山梨俊夫『絵画を読み解く10のキーワード』を読んで(その1)

 山梨俊夫『絵画を読み解く10のキーワード』(小学館)を読む。山梨はきわめて優れた現代美術論『現代絵画入門』(中公新書)の著者だ。だから期待して読んだ。期待は少々裏切られた。本書は、10のキーワード「笑い」「死」「子ども」「時間」「スポーツ」などを軸に、絵画を語っている。「笑い」で取り上げられるのは、レオナルドの「モナ・リザ」と「聖アンナと聖母子」それに「寒山拾得」や岸田劉生、フランス・ハルス、ウィリアム・ホガース、鳥獣人物戯画ドーミエ等々だ。笑いをキーワードに古今東西の美術を縦横に語っている。美術史に踏みこみ、社会的な意味などを考察する。とても高踏的な美術エッセイだ。ただ、それだけに中途半端な印象も拭えない。美術についての語りも時代順ではないし、社会的な考察としても十分な踏み込みが足りない。調べてみると、販売状況もイマイチだったらしい。『本の窓』に連載したもののようだが、地味な内容で人気のあったものだとも思えない。

 とは言いながら、興味深い内容も散見する。「絵の中の声」の章ではフランシス・ベーコンについて語られている。ピカソの『ゲルニカ』は、「あちこちから叫び声が湧き、溢れている」と書き、

 とくに『ゲルニカ』ということではないがピカソの絵画に啓発されたイギリスの画家フランシス・ベーコン(1909-92)もまた、叫びの絵を描こうと意図した。ベーコンの作品に、『頭部IV』と題された絵がある。その絵は、ベラスケスの描いた『法皇イノセント十世の肖像』を図像の直接の典拠にしている。ベーコンにとってこのベラスケスの絵は、人間の存在感を見事に実現したものとしてきわめて重要であった。『頭部IV』以外にも、ベーコンはその絵を参考にして何点かの作品を描いた。もとのベラスケスの絵で法皇はしっかり口を閉じていて別段叫び声をあげているわけではない。しかし、ベーコンは、法皇の口を大きく開かせた。『頭部IV』は1949年に制作されたが、それより数年前から叫びを主題にした人物像の試みが始まってもいる。画家はこの主題についてのちにこう語った。
「いつか人間の叫びの最高の絵を描こうと思っていたんだ。できなかったが……」
 画家は自分の試みの目的は果たせなかったと述べている。しかし、ここには確実に叫びそのもの、裸形にされた叫びのかたちがある。
 ベーコンは人間を描きつづけた。しかも描きつづけながら、人間を歪曲し、解体していった。ピカソの歪められた人間像が主として誇張と省略を大胆に駆使した造形的な処理によっていたのに対し、ベーコンの歪曲は、関節を捻り、肉を溶かし、肉体をときに単なる肉の塊のように変えていく激しさ、もっといえば一種のおぞましさを見せる。それは、人間の外見を変貌させ、肉体の闇に隠されていた存在の内実をさらけだそうとする操作である。もう一度ベーコンの言葉を借りよう。
「私がやりたいのは、ある物を外見よりずっと歪めること、とはいっても歪めることで外見の記録へそれを連れ戻すことだ」
 ただ、上っ面の外見を映すことを拒否してベーコンは、「外見」として表れる人間存在が着ている先入主、言い換えれば、それと気づかないうちに人々が抱いてしまっている人間への見方を打ち壊す。そのことで、隠されていた肉体的な人間の存在のもうひとつの表れを示すこと。それが、ベーコンの人間解体の作業なのである。
 この作業を伴って、叫びが描かれる。『頭部IV』では、歴史上のローマ法王をモデルにしながら法皇の面影など、少しも描かれない。頭の上半分は、まるで上に吸いあげられるように溶けかかり消えていく。残された顔は、奥に暗がりを湛える口ばかりである。その口が、大きく開かれ、上下の歯を見せ、叫びをあげる。ここに聞こえてくる叫びは、絵を見る側に恐怖を抱かせる。ムンクの叫びは、生きることに根をもつ不安や怖れから発し精神を揺るがし、『ゲルニカ』の叫びは、戦争の暴力に対する怒りと悲しみから発していた。それに対してベーコンの叫びは、肉体が内部に秘めている闇から湧き起こってくる。その声が呼び醒ます不気味な恐怖は、人間が普段装っているさまざまな虚飾を剥がれ、身体が裸体となる以上にさらけだされて、存在の芯がむきだしになる恐怖に似ている。叫びは、肉体をもって存在する人間の核から発せられ、別の人間の核へとその声を届かせる。

 いや、これはベーコンを少々買い被っているのではないか。
 山梨は、その著『現代絵画入門』(中公新書)でもベーコンについて「あばかれる現実−ベーコン」という章を立てて書いている。その末尾に、

 ときに人間の身体をひしゃげた肉塊のようにつぶし、ときには顔を溶かし、人間の肉体と闇とを混合させるベーコンは、人間関係のひとつの極点にたどりついた。そしてまた、彼以外にも暴力的な解体を試みた画家たちがいることは言うまでもない。人間と大地を融合して人間存在の暗がりに降りることを試みたアンドレ・マッソン、絵具の層を錯綜させたなかから強引に人間の姿を引きだそうとしたウィリアム・デ・クーニングなど、何人もの画家が暴力的な表現を人間像に向けて試みた。そして、暴力というほどのことでなければ、20世紀絵画のなかで、人間がいささかも解体されず、歪められていないなどという例はほとんど見当たらない。かりにあったとしても、それは反語としてなのである。

 さて、この続き『絵画を読み解く10のキーワード』(その2)はマティスピカソの比較について。
 山梨俊夫の『現代絵画入門』(中公新書)と、フランシス・ベーコンに関するエントリーは次のページ。
山梨俊夫『現代絵画入門』を読む、すばらしい!(2013年1月10日)
フランシス・ベーコン展を見て(2013年5月18日)

絵画を読み解く10のキーワード

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