徳川夢声『話術』を読んで

 徳川夢声『話術』(新潮文庫)を読む。裏表紙の惹句に「人生のあらゆる場面で役に立つ、“話術の神様”が書き残した(話し方)の教科書」とある。しかしながら、私にはほとんど役に立たなかった。気になった個所がある。

 小学校の先生方よ、次の時代の国民を、強く、明るく、正しき文化人にする教育の基礎は、あなた方に委せられているんです。子供は例外なくオハナシが好きなものであります。どうか、どの時間も面白くハナシて、教えて頂きたい。ついては、皆さんのコトバですが、どうか標準語でお願いいたします。
 大学や中学・高校の先生が、ナマリだらけでも、生徒が標準語を心得ていれば、差支えありませんが、小学校の先生がズーズーや、オマヘンや、バッテン言葉では、生徒がたちまち影響されるから、恐ろしいのであります。
 ――標準語なくして文化国民なし。

 本書は昭和22年に発行されている。戦後すぐの頃だ。そういう時代の制約からこんな標準語絶対の主張がなされたのだろう。
 「話術」に関して、私も付け加えたいことがある。それは「コンテキスト」を意識するということだ。コンテキストについては、Wikipediaを引く。

コンテクスト(英: Context)あるいはコンテキストとは、文脈や背景となる分野によってさまざまな用例がある言葉であるが、一般的に文脈(ぶんみゃく)と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。
〔概要〕
言語学におけるコンテクストとは、メッセージ(例えば1つの文)の意味、メッセージとメッセージの関係、言語が発せられた場所や時代の社会環境、言語伝達に関連するあらゆる知覚を意味し、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であれば店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

 この「コミュニケーションを成立させる共有情報」が会話においてとても大事なのだ。何かを話題にする場合、相手(単数でも複数でも)と話者である自分との間にどこまでその話題について情報を共有しているか。それを正確に把握していないと会話が順調に進まない。
 現代美術に詳しい相手と話すならば、キーファーって最近1冊10トンもある鉛の本を200冊作ったんだって、と言っても通じるだろうが、現代美術に関心のない相手にもし同じことを話そうと思えば、世界の現代美術の規模がすごいことを初めに話し、ドイツの売れっ子の美術家でキーファーという作家は絵と彫刻を作ってるんだけれども、キーファーが最近作った彫刻は鉛で作った本で、1冊10トンもするその本を200冊も作ったんだって、あっちは規模が違うね、みたいに話すことになるだろう。まあ、現代美術に関心のない相手にキーファーのことを話すことが場違いかもしれないが。
 相手の知識と自分の知識の共通部分をまず認識すること。その知識がしばしば重なっていないことが多いのだから、どんなに遠回りでも共通項を探してそこから話を始めること。できれば大回りしても相手が強く興味を持っているところから始めて、徐々に目的のテーマに話を持っていったら会話がスムーズに進んでいくのではないだろうか。


話術 (新潮文庫)

話術 (新潮文庫)