三木那由他『会話を哲学する』を読む

 三木那由他『会話を哲学する』(光文社新書)を読む。副題が「コミュニケーションとマニピュレーション」。このコミュニケーションとマニピュレーションについて、

 

……話し手が発言をおこない、それによって聞き手とのあいだで共有の約束事が形成されるとき、その発言はコミュニケーションをおこなっているものとなります。コミュニケーションは、話し手と聞き手のあいだでの約束事に関わる。(中略)

 ですが話し手は必ずしもその発言でコミュニケーションだけをおこなっているわけではありません。あえて白々しい何らかのコミュニケーションをおこなうことによって、聞き手を怒らせようとしてみたり、何かをコミュニケーションのレベルに持ち込まないように巧みに計算した発言をしつつ、その何かを聞き手に情報として伝えたりと、さまざまな仕方で聞き手に影響を与えようともします。発言によって聞き手に影響を及ぼそうとしているとき、話し手はマニピュレーションを試みていると言えます。

 

 別のところで著者は、マニピュレーションは「何かを操作すること」といった意味合いを持っていると説明している。

 三木は多くマンガやベストセラーなどの会話を引用して、コミュニケーションとマニピュレーションを解説する。それらはとても分かりやすい。会話をこのように分析する方法があるなんて知らなかった。

 アガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』を取り上げて、「コミュニケーションとは情報の伝達というより約束事の形成である」という観点から、そのラストシーンに見られるドラマティックなやり取りがいかなるコミュニケーションになっているかを詳しく解説する。

 尾田栄一郎の『ONE PIECE』で、Dr.くれはが、ナミに、「いいかい小娘 あたしはこれからちょっと下に用事があって部屋をあけるよ(中略) いいね 決して 逃げ出すんじゃないよ!!」と発言する。これは、Dr.くれはが自ら進んでナミが逃げ出すよう促そうとして、わざわざあのような発言をした。これは、ナミの行動に影響を与えようというマニピュレーションなのだ。

 それで私も思い出した。私が小学生のとき読んだマンガの『赤胴鈴之助』で、赤胴が他流試合をして師の千葉周作から破門される。赤胴は試合に当たって師のアドバイスを求めたい。しかし破門されている身として師に教えを乞うことはできない。そのとき、同門の竜巻雷之心が、先生の部屋の外から、旅の者ですが教えを請いたいと声をかければ良いと教える。先生は障子を閉めたまま、部屋の中から教えてくれるはずと。千葉周作も赤胴も相手が誰か分かっているが、障子を隔てて知らないふりを通すことが出来たのだ。

 会話にこのような複雑な側面があることを意識しなかった。それらは指摘されてみれば何ら目新しいものではなかったが、改めて分析されたことによって、意識的に使用できるかもしれない。

 なかなか有益な読書だった。