東京大学出版会のT嬢のこと

 東京大学出版会のPR誌『UP』に人気エッセイ「注文の多い雑文」が不定期で掲載されている。筆者は東京大学の宇宙物理学者で宇宙論太陽系外惑星が専門の須藤靖教授。2018年の6月号が「その42」とあるから、もう10年前後連載が続いているのだろう。題名の「注文〜」は「ちゅうぶん」と読み、「注」が多いことを言っている。今回も7ページのうち、1ページ半が注になっている。
 今号のタイトルは「クレーマー・クレーマー」となっていて、先の大学入試センター試験地理Bで、ノルウェーフィンランドが舞台のアニメとして「ムーミン」と「小さなバイキングビッケ」を挙げ、両国の言語で書かれたカードとの正しい組み合わせを選択させる設問があった。これに対して、「専門家」の大学教員の一部が、「物語の舞台のムーミン谷は架空の場所」、「ビッケと仲間たちが住んでいる村もノルウェーとは明示されていない」と指摘し、解答不能な設問であるとの危惧を表明した。というように要約して、これに対して須藤は、「枝葉末節の知識などなくとも、ある程度考えれば解答に到達できるではないか。独創的で素晴らしく、かつ楽しい良問である」と感じた、翌日の新聞でも、ほぼすべてがこの設問を好意的に評していた、と書く。
 それが時間が経つにつれ、論調が180度変化した。極め付けが上述の「専門家の一部」からのクレームだった。須藤はその設問を考えることで緊張がとけ、逆にリラックスして実力を発揮できた受験生の方がはるかに多かったのではないだろうか、と書き、続けて「それらを総合的に忖度し、温かく見守ってこそ本当の「専門家」なのではあるまいか、と言う。そして、そこに「注10」が付されている。
 その「注10」を全文引用する。

(10) 専門家といえば、2018年4月号から『UP』誌で新たな連載が始まった。なんとそこには、T嬢が登場する。しかも、教養あふれる『UP』誌に何を書けばいいのかわからないのだが、ある連載を担当しているT嬢から「なんでもいい」と言われたからには限りなくガチに近いと考えて良いだろう、とある。その先を読み進めると、これがまたとてつもなく面白い。率直に言えば不愉快なほどの文章力である。言語学の専門家に、本気で「ガチ」の文章を書かれてしまうと、私が『UP』誌上で十数年かけてチマチマ確立してきた今日の立ち位置など、一瞬にして崩れかねない。即刻クレームをつけておきたい。そもそも、「こんばんは」などと挨拶している暇があるのなら、「バーリ・トゥード」といういかにも専門家風の言葉の意味の説明から始めるべきではなかったか。これでは、イッツオーライとは言い難い。その点を指摘しなかった担当者のT嬢にも猛省を求めたい。

 須藤が指摘する4月号から始まった連載とは、言語学者の川添愛の「言語学バーリ・トゥード」のことで、第1回が「『こんばんは事件』の謎に迫る」と題されている。川添は教養あふれる『UP』に定期的に文章を載せていただくことになったが、自分は教養がないという。

……私の専門は言語学だが、学生の頃に師匠に「言語学を何年やっても教養はつかないんや」と言われて、本当にそのとおりになってしまった。それでももう少し人生経験が豊かであれば、JALANAの機内誌のような文章が書けたかもしれないが、残念ながらスコットランドで本場のウィスキーを味わったこともなければ、パリの古書店で希少本に出合ったことも、ニューヨークの新進気鋭のシェフの店で食文化の新しい風を感じたこともない。ないものを出そうとしても無理だ。
 それで今回はもう開き直って、プロレスの話をすることにした。開き直りすぎかもしれないが、実は私の担当編集者というのは「T嬢」、つまり『UP』の某人気連載を担当しているあの人だ。だから、彼女が「なんでもいい」と言うのは限りなくガチに近いと考えていいはずだ。とりあえず今回は初回なので、あいさつに代えるという意味もこめて、プロレスの歴史で一番有名な「あいさつ」の話をしたい。

 それが「こんばんは事件」で、アントニオ猪木がトップレスラーとして活躍していた時代に、当時彼の団体であった新日本プロレスに、国際プロレスからラッシャー木村アニマル浜口が流れてきた時の事件だという。初めて新日本プロレスのリングに上がった木村が、マイクで「こんばんは」と第1声を発した時の観客の反応を川添が細かく分析している。
 その内容は省くが、本稿の末尾で川添が書く。

……とりあえず私としては今回たくさんプロレスの話ができたので満足だが、本当にこの内容でT嬢的にもイッツオーライなのかわからない。次回以降の内容については、まずはこの文章が本当に『UP』に載るかどうかを確かめてから慎重に検討したい。

 さて、『UP』2013年1月号に加藤寛一郎という飛行力学の専門家が「数式を使わない力学」というエッセイを書いている。加藤の新刊『飛ぶ力学』の宣伝のためでもあるらしい。エッセイの末尾が次のようになっている。

 拙著『飛ぶ力学』の着想を得て、20年ぶりに(東大)出版会を訪れたときのこと。私は目の醒める美女にでくわした。それは女の魅力の説明に苦慮してきた私が、時空の物理学の神髄を垣間見た一瞬であった。作用・反作用と慣性の法則万有引力の法則を加えたものが、より広範な真の力を定義するのではないか。あの本でそれを説明する機会を逸したことを、私は心から悔いる。
 おわかりいただけたであろうか。不良学者はこの大発見を世に知らしめるため、前号では猫を被り、漸く本号で正体を現したのである。目の醒める美女について、ご下問あろう。お教えするわけにはいかぬ。わからなければ、推量せよ。それは直感を育て、人生に喜びを与えるであろう。

 須藤は『UP』2012年12月号に、「不ケータイという不見識」というエッセイを書いていた。当時須藤はケータイを持っていなかったが、T嬢も持っていなかった。そのことを「注12」と「注18」で次のように書いている。

(12) T嬢は常日頃不ケータイであることをカムアウトすると、「嘘でしょう」のみならず「番号を教えたくないのですね」と相手方から勘ぐられてしまうらしい。これは見目麗しい女性だからこその反応である。私は未だかつてそのように勘ぐられたことはない。(後略)
(18) 今回の執筆をめぐるメイルでのやりとりを通じて、T嬢との絆が一層深まったこともまた不ケータイのおかげである。

 これらから推量するに、T嬢は東大出版会の編集者で見目麗しく、彼女との絆が深まったことが喜びであるように読める記述だ。さらに推量を逞しくすれば、このT嬢こそが、加藤寛一郎の言う目の醒める美女のことではないだろうか。東京大学出版会にはどうやらすごい美女が在籍しているらしい。
 いや、そう書いてから4年半経った今もT嬢は健在らしい。遠くからなりと一度ご尊顔を拝したいものだ。


東大出版会の美女(2013年1月6日)