『マルセル・デュシャンとアメリカ』を読む

 平芳幸浩マルセル・デュシャンアメリカ』(ナカニシヤ出版)を読む。副題が「戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷」というもの。デュシャン論でありながら作品論には踏み込まない。まさに副題どおりの内容。キュビストとしてのデュシャンシュルレアリスムデュシャン、ネオ・ダダとデュシャンフルクサス、ポップ・アートとレディメイド、コンセプトアート等々、目次の一部を抜き出した。
 キュビストとしてのデュシャンでは「階段を下りる裸体No.2」が有名だ。「泉」と名付けられた男性用便器や「瓶乾燥器」などのレディメイド作品。レディメイド以降、芸術は判断と命名の行為となった。そしてデュシャンの代表作ともいえる通称「大ガラス」=「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」の制作。戦後の沈黙と最後の大作「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」の衝撃! デュシャンの作品の謎。
 アメリカの様々な前衛的美術運動がすべてデュシャンと絡めて、デュシャン受容の変遷として語られる。ネオ・ダダにレディメイドフルクサス、マルチプル、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート等々が。あらためてデュシャンの偉大さを確認した。
 「大ガラス」は有名なので多くの人が知っているだろうが、遺作となった「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」はそれほどポピュラーではないだろう。遺言によりデュシャンの死後公表された本作は、フィラデルフィア美術館に設置されていて、作品内部の写真複製を15年間禁止するというものだった。その作品とは、

(……)観者はギャラリー183へと入っていく。そこに「遺作」はある。あるといっても観者が眼にするのは室内北側の壁にしつらえられた頑丈なスペイン扉だけだ。訝しく思い、扉に近づいてそこに穿たれた二つの覗き穴を見つけた者は幸いである。その穴の向こう側にはこちら側とは完全に別世界の光景が繰り広げられている。扉の奥のレンガの割れ目を通して観者の眼にとびこんでくるのは、枯れ草の茂みに埋まるようにして横たわっている裸体の女性の姿である。ハレーションを起こしそうなほど強い光のもとでその女性はこちらに向かって股を開き、無毛の女性器を晒している。頭部は汚れたブロンドの髪で覆われ顔は見ることができない。レンガの壁によって右手と両足の先端がどうなっているかわからないが、左手は、タイトルにある照明用ガスを指すのであろうか、アウアー燈を垂直に掲げ持っている。その女性の背後には湖と森と空の風景が広がっている。その森の中央から、蛍光灯とローターの仕掛けによって、滝が静かに落ち続けている。

 「遺作」は20年間ほとんど家族以外には内緒で作られてきた。その意味も謎だし、デュシャンの存在も謎に満ちている。戦後アメリカ美術に与えた影響を考えるとデュシャンのことはもっともっと学ばなければならないだろう。
 幸い本書には詳しい参考文献もついている。なにしろ本書は著者の博士論文として執筆されたものだという。だからしばしば難解で読みづらいのもそのためだろう。あらためて著者が新書版に書き直してくれることを望みたい。