『基礎講座 哲学』を読む

 木田元須田朗 編著『基礎講座 哲学』(ちくま学芸文庫)を読む。編者の2名のほか、財津理、村岡晋一、福田収、後藤嘉也、滝浦静雄が分担執筆している。
 第1部が「哲学とは何か」と題して、西洋哲学の歴史が古代ギリシア哲学から、現代の現象学実存主義マルクス主義プラグマティズム構造主義分析哲学まで、コンパクトに語られている。本書は25年前、看護学生を対象に哲学の教科書として書かれたものだという。25年前の本として、ポスト構造主義にはやっと1ページが与えられているにすぎない。
 しかし「近代哲学」の項では、3人が分担執筆しており、デカルトと合理主義、カント、、ヘーゲルと近代哲学の完成、ニーチェの4つの小見出しを立て、手際よく解説している。
 第2部は「現代に生きる人間と哲学」。自然と文化、心と身体、死の問題、社会性、自覚としての哲学など5つの項目を立て、全体の半分以上を占めていて、5人が各1章ずつ分担している。専門の哲学者に対して私があれこれ言うのもおこがましいが、この第2部はばらつきが大きいように感じられた。「心と身体」の記載に納得のいかないものをいくつか感じたが、著者はほかにプラグマティズム構造主義を担当している哲学者だった。それに対して、「人間の自覚としての哲学――むすび」は滝浦静雄が担当しており、さすがと感じられた。しかし、この滝浦静雄木田元も亡くなってしまった。
 巻末の参考図書一覧も実用的に初学者向けに絞られており、索引も人名索引と事項索引が充実している。わかりやすく書かれており、西洋哲学の初歩的な教科書としてとても良いと思う。
 誤植の指摘。「…宴会に主人が骸骨やミイラを持ち出して接待するという奇妙な接客の仕方があったそうですが、やがてその風習が古代ローマの遺族たちに受け継がれ、彼らの食堂にはこの「グノーティ・セアウトン(日本語略)」という句を添えた骸骨の装飾デザインがしばしば見られたそうです。」(275−276ページ)の「遺族」は「貴族」だろう。