『お父さん、一緒に死のう』を読んで

 豊田実正『お父さん、一緒に死のう』(東洋出版)を読む。知り合いから、彼の知人が本を書いたけど読みますかと言われて借りた。ひと目見て自費出版だと分かった。副題が「永遠の恋人 永遠の宝物」とある。カバーの表裏に中年のきれいな女性の写真が使われている。それが著者豊田の奥さんだった恵美子さんだ。
 豊田は大学生のとき後に妻となる恵美子と出会う。彼女は学内でも評判の美人だったようだ。卒業して2年後再会して結婚を決める。彼女は良いところのお嬢様だったが。
 豊田は仕事熱心でほとんどモーレツ社員の鑑のような働きをする。会社に勤めながらさらに夜アルバイトをしたりする。深夜まで働き公園などで寝てまた出勤したりする生活だった。
 20代で会社を設立するが、金がなく名刺を作るのがやっと。そのプレハブを組立て・解体する会社は電話もなく、1日100軒の飛び込み営業を繰り返す。ようやく興味を持ってもらえた社長に見積もりを頼まれる。しかし見積もり用紙を買う金もないので、社長に頼んでソロバンを借りメモ用紙をもらって見積書を作る。金額が評価され仕事を発注されるが、金がないことを話して2割の前金を依頼する。小切手を切ってやれと事務に指示してくれたが、銀行口座がないことを話して現金でもらう。とにかくすごいバイタリティだ。
 そんな仕事ぶりで会社はどんどん発展する。業種を広げ不動産にも手を出す。最初狭いアパート暮らしだったのが、次々に広いところへ引越し、ついに相当な広さの一戸建てを購入する。ほとんど順風満帆の生活を手に入れる。
 妻に対してはきみが「この世のすべて」「永遠の宝」と繰り返す。贅沢をさせて何でも買ってやり、もう欲しいものはないわと言わしめる。その贅沢な海外旅行は、

……海外旅行はどうしても3泊、4泊となりますので、5月の連休か8月の盆休みになりました。行先は香港・マカオ、オーストラリア、シンガポール。いずれも現地の空港にガイドと通訳がリムジン車でのお迎え付き。ガイドも通訳も現地到着から帰りの空港まで四六時中傍に。ホテルは超一流。

 子どもにも恵まれ男と女が一人ずつ。孫も生まれた。
 そんなとき、突然アクシデントに見舞われる。はっきりとは書いていないが、おそらく会社が倒産してしまったのだろう。会社も神戸の住宅も捨てて横浜へ移り、しばらくはホテルを転々とした。これはおそらく債権者から逃げていたのではないか。
 小学校から家族ぐるみで付き合っていた幼馴染に東京営業所を任せていた。子会社を設立させて代表に豊田の次兄の嫁の妹の旦那を宛てた。その二人が豊田を裏切って横領を繰り返していた。そのことに長い間気づかなくて、気づいた時は倒産を余儀なくされた。そしておそらく横浜まで夜逃げする。
 具体的な事実関係を詳述すると、恵美子との思い出の本著が汚れてしまいそうだからと、詳しくは書かれない。
 再建を期するが、妻がガンを宣告される。二人の闘病が綴られる。しかしついに帰らぬ人になってしまう。豊田の嘆きは半端なものではない。豊田の愛情の深さが感じられる。恵美子を忍んで本書が書かれ出版される。本文中に挿入される妻の元気だったころのカラー写真。普通はカラー写真は口絵扱いにしてコストの削減を図るのに、惜しげもなく4色刷りを選んでいる。製本こそ並製本だが、540ページという立派な造本だ。
 しかし、自費出版を選ばざるを得なかった理由もよく分かる。豊田に自己批判がないのだ。妻のすばらしさは本書から分かるのだが、同時に豊田の成功譚が誇らかに語られている。その方が重点は大きいかもしれないと思えるほどだ。だが一番の問題は、豊田が妻の本当の姿を理解していない風があることだ。なんだか妻恵美子は理想的な美しいお人形さんみたいな女性だ。彼女の内面があまり語られていない。豊田が彼女の内面を本当には知らなかったのではないかと邪推させるほどだ。
 妻は読者家であったと書かれるが、その愛読書は、水上勉内田康夫横溝正史筒井康隆、西村京太郎、森村誠一小松左京藤沢周平宮本輝などが挙げられている。彼女の俳句も紹介されているが奥様芸の域を出ない。美しかったこと、優しい性格だったことは確かのようだが、それ以外に特段の優れたものを持っていたようには見えない。
 豊田は繰返し自分がどんなに仕事に熱中したかを語っている。それはきわめて非凡なものだったと思う。しかし、それを部下たちに求めたら、おそらく大変な上司・経営者だったろう。幼馴染や親せきの人間が離反して裏切ったのもそうしたきつい人間性への反抗だったかも知れず、部下たちから終始慕われていたという感触が読み取れないのは多分そのことを裏付けるのではないか。
 本書はおそらく豊田が語ったものを編集者が文章に起こしたのだろう。文章に破綻はなく、むしろ手慣れた風でさえある。ただ、これが豊田の文体であるというのが見当たらない。読みやすくすらすらと読めてしまって、540ページもあるのに1日で読み終えることができた。誤植は気づいたところで1か所だけだった。
 自費出版の本に対して厳しすぎる評となったが、自費出版といえど公刊されたものだから遠慮なく書いてみた。


お父さん、一緒に死のう 永遠の恋人 永遠の宝物

お父さん、一緒に死のう 永遠の恋人 永遠の宝物