ときわ画廊の驚くべき展示


 銀座で30年間続いた現代美術の貸画廊が来年春で閉廊することになったという。とても良い画廊なので残念だ。30年も続けたのだから過去の展示の記録をまとめて本を作ったらどうですかと言うと、村松画廊の記録はすごいけど、お金がかかってしまうとの答え。村松画廊のような立派なものじゃなくて、ときわ画廊の記録みたいなものはどうですか? ときわ画廊がそんなの作っていた? じゃあ、今度それを持って来ますよ。
 久しぶりにその『ときわ画廊 1964−1998』(三上豊=発行)を取り出した。ときわ画廊で行われた全展覧会の記録、展覧会の期間と作家名が35年間分すべて記録され、作家名索引と主な展示の写真が掲載されている。写真ページはモノクロで50ページほど。写真で紹介されている展覧会は60以上ある。92年3月の吉田哲也展、94年6月の渕上昭生展、95年10月の多和英子展、98年8月の吉岡まさみ展などの写真が掲載されている。
 そして最後に12ページにわたって、35年間画廊を切り盛りしていた大村和子に三上がインタビューしたものが載っている。そういえば、画廊を閉じるとき、私も大村さんに伺ったことを思いだした。35年間で何が一番印象に残りましたか? 2つあったという。画廊に水を張ろうとした作家とネズミを置いた作家だとのこと。それについて詳しい話を聞いたが、それらのことが本書に記録されていた。

―――この前お借りした70年の写真に、田島(廉仁)さんの、水をプールしたという……。
大村  これはたいへん思い出深い……(笑)。
―――これは、事前にやることは聞いていたわけですか。
大村  はい、聞いていたんです。ですけど、私もそれだけの計算ができませんで、水深がほんのわずかだと思ったんですよ。45cmの深さまでそれをいっぱいにするというところまで私もわかりませんで……。水道の関係がありますでしょう。これだけのプールを埋めていきますのは。ビルのほうに許可を取りに行ったら、もうびっくりして飛んできたんです。日曜日一日かかって計算したら、その夜から水を出しっぱなしにして、火曜日までかかるというんです。ずーっと。でも、その時間よりも重さですね。(ビルの)地下が三階ありますもので、ぜったいこれは耐えられないというんですよ。これが何かのときに隙間から漏れて下へ行くと、下は機械室がありますから、それはたいへん困るからやめてくれということで、ずいぶんもめたんですけどね。それで、撤去していただくということでお願いしたんです。
―――写真は水のあるシーンなんですけど、途中までやったわけですね。
大村  そうなんですよ。これは初日の日だと思うんです。

 1970年7月の写真に、画廊の壁際にビニール様のものが貼られ、床に水が溜まっている風景が写っている。田島は広い画廊一杯に水を45cmの深さに張ろうと考えたらしい。
 ネズミの事件は次に。

大村  (……)この「聞く・見えた」展……。水本(修二)さんたちなんですが。一人1匹ずつネズミを持ってきたの。東大医学部の実験室から無菌のをもらってきたというんですけど、それをネズミ捕りに入れて画廊の四隅に置くという、それだけの展覧会だったんですけど、ネズミが子どもを生んだんですよ。それを食べるのよ。餌をあげないじゃない、その1週間。あれは嫌でしたね、私。朝になると、画廊に行くの、嫌だなあと思って。

 これも大村の話を聞いていたから補足すると、ネズミには餌をやらないように言われていたが、1匹のネズミが妊娠していたらしく画廊に置かれたネズミ捕りのカゴの中で出産した。空腹に耐えかねて母ネズミが毎日1匹ずつ子どもを食べたのだと言う。
 ほかにも興味深いエピソードが数々語られている。奥付には、著者 ときわ画廊(大村和子)、1998年12月15日発行、1000部制作、非売品とある。