佐野洋子『神も仏もありませぬ』を読む

 佐野洋子『神も仏もありませぬ』(筑摩書房)を読む。前著『死ぬ気まんまん』より10年ほど前の著作。皮肉たっぷり言いたい放題のようで繊細な面も見えている。身辺のことを綴ったものがそのまま優れたエッセイになっている。とても魅力的な人だ。
 身辺を綴りながら、やはり生死のことが核になっている。

 (知人の)マコトさんは(90歳のお父さんと)風呂にも一緒に入ってやっていた。「もう入りたがらないの、そんでも入れちまえば素直なものよ、そんでも何だろ、チンポだけは洗わせないのよ、こうやって、絶対だよ」。そんなものなのか。私は東京で、親父を風呂に入れてやる息子と話をしたことがない。(中略)
 ある日、おじいちゃんが、「体をふいてくれ」と突然云ったので、何だろう、不思議だなと思って、体をきれいにふいてやった。ふだんと変わりは何もなかったそうだ。しばらくすると、「何かスカッとするもの」と云ったので、吸い口にサイダーを入れて飲ませた。それからすぐ、ヒクッとしてそのまま死んでしまったそうだ。
 「自分で湯灌して、末期の水も自分で飲んで大往生で、すごいだろう」。まるで、どこかの民話の様ではないか。

 葬式のとき、マコトさんの一族何十人が、じいさんにとりすがって、わァわァ泣いていたという。

 私の友達など姑の葬式でVサインを出した人も居るし、首から親父の骨箱をぶら下げながらスキップしていた男も見た。

 着物につて語っているが、知らないことばかりだ。

 百一歳の人の着物をほどいた。何十枚もほどいた。着物は不思議だ。ほどきながら、私は会ったこともない百一歳の人が、この着物を着てどこに行き、何をしたのだろうと思う。(中略)
 紺色の夏の絽もあった。水の流れる地紋がついていた。会った事もない百一歳の人が、日傘をさして、橋の上から下をのぞいている様な気がする。百一歳の人は若くて美しい。ほっそりして白い指をしている。不倫なんかしていたら素敵なのに。
(中略)
 着物は不思議だ。呉服屋で、この着物が欲しいと思う時の心のはなやぎは、多分どんなブランド物の洋服が欲しいという思いとは違う、ものすごく深い欲望なのだ。帯締一本からでも無限に広がる楽しさは、着物を着た人にしかわからない。この人がこの沢山の着物を手に入れた時の心の躍りが、着物をバリバリばらしている私にも伝わって来る。

 昔20歳で上京して屋台をやった。テキヤのオヤジが、手許をきれいに見せるよう指輪をするといいよと言った。千円の銀の指輪を買った。夏頃一時帰省したとき、もう寝たきりになっていた祖母が私の指輪を欲しがった。あげなかった。ほかのもので欲しいものはないかと聞くと、足袋がほしいと言った。もう歩けないのにと驚いたことを48年経ったいまでも憶えている。
 佐野洋子にはまってしまっている。どんどん読みたいと思う。皮肉でズバリいう所が、これまた好きな米原万里と似ていると思う。そういえば、金井美恵子もその点で似ている。金井に関しては、作品が好きだと思っていたが、案外性格が好きなだけかも知れない。父さん、性格がきつい女のひと好きだねえと娘に言われたことがあった。

神も仏もありませぬ (ちくま文庫)

神も仏もありませぬ (ちくま文庫)