『淀川さんと横尾さん』を読む

 淀川長治横尾忠則連続対話『淀川さんと横尾さん』(ちくま文庫)を読む。1991年から1993年にかけて3回行われた対談の記録。気が合う二人が言いたいことを言いあっていて楽しく読んだ。
 淀川の話。淀川の母が具合が悪くなって、夜中に背中をさすってあげていた時、部屋の四隅に死神が座っているのに気づいた。片足立て膝で、ねずみ色の顔と体をしていた。

横尾  待っているわけ。怖いね。
淀川  ノートルダムのせむし男みたいな男ね。4人。ぼく、いやだっていったの。いま呼びにきたらいやだいうたの。
横尾  消えました?
淀川  頼んだの。もう6カ月待ってって、いらんこといったの。もう6カ月待ってっていったの。で、消えたの。助かったの。それが12月の暮れ。5月の末に死んだ、おかあちゃん。6カ月目に死んだの。つくりごとみたいだけど。あの時、もう5年いうたらよかった。

 干支が話題になる。

淀川  あなた何の年ですか。生まれ年は。さるですか。
横尾  違う、違う、ぼくはねずみです。
淀川  ねずみはね、おとなしくて、甘ったれで、寂しがりやなのね。ぼくの死んだ弟はねずみだった。ぼくはにわとりなの。にわとりは働いて働いて働いて、人のために働いて死んじゃうのね。骨までしゃぶられるのね。
横尾  じゃあ、焼鳥になっちゃうんですね。
淀川  こんなことが、ばかみたいだけど合うんだね。あんたがねずみでしょう。どっかおとなしくて、みんなに好かれてるの。寂しがりやでおとなしいのよ。あんた、気がつかないけど、あんたみたいな人、自殺するよ。あんまり気がよくておとなしくて。

 私もねずみなんだけど・・・
 深沢七郎について話している。

淀川  ……深沢さんが、淀川さんはおこわ好きですか言ったの。おこわって知っているでしょう。豆ご飯。
横尾  おこわ。豆ご飯ね。ぼく、大好き。
淀川  ぼく、大好きですよ言うたら、「ぼくはおこわ、とっても上手につくるんだから」。「あんたおこわ上手につくってるの。へえー、欲しいな」言うたら、「淀川さん、あげますよ」。お昼しゃべったら、晩に届けてきたの、つくって。
横尾  ほんとう。
淀川  そんな人。あつあつの持ってきて、どうぞどうぞ言うて。そういう不思議な……。
横尾  ぼくもね、団子、300本持ってこられたことありますよ。
淀川  んまあ、すごいね。どうしたの、それ。300本、困るね。
横尾  食べられないですよ。それは、たまたま展覧会のパーティの席だったからよかったですけどね。
(中略)
淀川  あの人のはいい文章だけど、あの人がもし短文の葉書書いたら、妙な文章を書くだろう思う。
横尾  そうです。ちょっと淀川さんみたいに、おんなじ言葉がね……。
淀川  重なるの?
横尾  重なるんですよ。
淀川  ぼくみたいにって、私、そんなに重ならない。
横尾  「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」みたいに、「私は、私は、私は、ぼくは、ぼくは、ぼくは、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、もうザーメンがざあざあ、ざあざあ流れます」とか書いてあるの。なんかワイセツな手紙が来るんですよ。

 インキンの話。

横尾  それと高校生のときに、インキンになったんですよ。みんななりますよね。
淀川  ずいぶんなるね。
横尾  痒くて痒くてしようがなくて、インキンタムシの薬を買ってきて、一人でごそごそやってたの。そうしたらそれをおふくろに見つかって、おふくろが、私がつけてあげようっていうの。ええっていうので、もうしようがないですね。つけてもらったら、やっぱり反応するじゃないですか。なんか、もういいやみたいな感じになっちゃってね。そのときに、母親に対して、奇妙な女を感じましたね。
淀川  何歳。中学校?
横尾  高校ですよ。
淀川  それは当たり前だよ。高校のその子に、お母さんがつけてやるのもやっぱり……。つけてやるのは、ちょっとねえ。
横尾  ええ。
淀川  義母だからね。普通のおかあさんじゃないからね。

 それで思い出した。私は25歳くらいで初めてインキンになって、タムシチンキを買ってきてつけた。薬が垂れて流れて袋に達したら、焼けるように痛かった。痛いのは患部だからだと、髪の毛を掻きむしりながらさらに塗った。もう七転八倒するくらい痛かった。あとで皮膚科へ行くと、袋に発病することはない、馬鹿なやつが薬を塗って痛がっているが、あれは強力な薬がそこの弱い皮膚を焼いているから痛いんだと、もう医者にはバレていた。
 おもしろい読書だった。淀川と蓮見重彦の対談もよかったが、本書もなかなかだった。