横尾忠則と野見山暁治の描き方

 淀川長治横尾忠則連続対話『淀川さんと横尾さん』(ちくま文庫)に横尾忠則の絵の描き方が語られている。
 横尾は一時期『広告批評』の表紙絵を描いていた。その絵を淀川が話題にする。

淀川  ……あんな表紙売れませんって言っちゃったの。悪いこと言っちゃった。また、ややこしい絵なの、それがね。
横尾  ぼくの表紙を受け入れてくれなきゃ天野祐吉さんのこと信じられない人だと思いますよ。
淀川  それがね、なんか紫式部が魚に乗ったりさ、なんか不思議な絵なの。ああいう絵好きなの、この人。不思議な絵がね。ああいう構想は描いているうちに生まれるんですか。
横尾  最初から構想無いんですよ。何か一つ描くでしょう。たとえばここに鷲がいますよね。鷲を描きたいと思うと、鷲描く。描かないと思いつかないけど、描くと、次に何が必要かというのが浮かぶんですね。
淀川  いいですね、そういうの。
横尾  最初から構図が浮かばないんですよ。だからどういう絵になっていくか、それが楽しみでね。

 また別のところで、

淀川  (横尾の絵は)さかさまになったり横になったりなんか不思議な絵なのね。あれ、どうしてああいう絵描いたの?
横尾  ぼくはものが混在しながら共存しているのが好きなんです。いろんな事物の順列をごちゃごちゃに壊したいわけですよ。なんかこう、物事が整然と並んでいるというのはあんまり好きじゃないんですよ。
淀川  それでああいう形になったの?
横尾  うん。だからミスマッチなものが共存しているわけで、だから立った人もいるとさかさになっている人がいるとか、空が下にあったり、地面が上にあったり、とにかく、それをごちゃごちゃにひっくり返したいんですよね。そうしたら安心するんです。

 横尾のこの描き方は野見山暁治の描き方と共通している。野見山も最初から構想がないように見える。以前、NHKの番組で野見山の制作風景を追っていたことがあった。200号を超えるような大きなキャンバスに太い筆で最初に黒い曲線を引いた。翌日、俺はなんでこんな線を描いたのだろうと消してしまった。その後も描いては消しまた塗り重ねていった。ほぼ作品が完成しつつあるところで番組は終わった。半年後くらいにギャラリー山口で野見山暁治展が開かれた。そのとき、NHKで放映されたあの大きな作品は、全く別々の2枚の作品になっていた。描き直したのではなく、変わっていったのだった。
 野見山が描きながらどんどん変わっていくのは、野見山暁治著『さあ絵を描こう』(河出書房新社)を見てもよく分かる。岬に囲まれた海を高台から見下ろしながら、その風景を油彩に仕上げていく過程を時系列で追っている。手前の建物を描き遠くの岬を入れる。描いているうちに岬が消えてしまう。また絵の中に岬が現れ、また消えていく。
 もちろん画家たちはみな横尾や野見山のように構想がないわけではない。わが師山本弘はおそらく描く前から作品の構図が決まっていた。だから早描きだった。あらかじめ構図が決まっている画家と決まっていない画家とどちらが優れているか、という問題ではない。資質の違いがあるという話だ。
 東京国立近代美術館で行われた野見山暁治展では、最後の部屋に大きな縦長の抽象的な作品が3点展示されていた。そばに野見山の言葉が貼ってあって、これらは皆スリッパのスケッチから生まれましたとあった。スリッパから展開して元のイメージが全く残っていない抽象的な作品3点が生まれていた。

さあ絵を描こう

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