北杜夫『見知らぬ国へ』を読む

 北杜夫『見知らぬ国へ』(新潮文庫)を読む。2011年に亡くなった北杜夫の1969年以降のエッセイを集めたもの。読書について、追悼集、旅などのエッセイ、それに『北杜夫全集』月報からが集められている。このうち、追悼集と月報からが良かった。
 「懐かしい人々」と題された追悼集では、井上ひさし谷内六郎、なだいなだ、遠藤周作埴谷雄高辻邦生手塚治虫らが追悼されている。なだいなだとは慶応病院神経科の同僚だった。なだの文学を「犀利な批評精神に裏づけられてはいても、本質的には抒情詩人なのではあるまいか」と評している。
 埴谷雄高に対しては、終始尊敬していた。1995年に埴谷がNHKテレビに出演したが、その番組はとても評判が良かった。放映のあったあと、前立腺肥大で手術のため入院していた埴谷を見舞いに行くと、テレビの出来具合にかなり満足しているようだった。

……埴谷さんは自作に対して完璧欲の強い方である。いくら良心的に作られた番組にせよ、あまり満足した様子を示されるので、私は一抹の危惧を覚えた。しかし埴谷さんはそのあと、
「退院したら、もう誰にも会わず、『死霊』九章を書こうと思います」
 と力強くおっしゃった。
 九章は完成した。私なんぞにはもとより分らぬことながら、やはり体力が衰えておられたとひそかに思う。

 北の厳しい評価が意外で印象に残った。
 辻邦生とは旧制松本高校の同級生だった。羨ましいような友情に見えた。しかし、その辻には弱いことが二つあったと書く。奥さんの佐保子さんがいないと寂しくていられないのと、軽井沢の山荘に一人でいられないことだという。夜がこわいと言うのだった。
 北杜夫の代表作は父を描いた膨大な評伝『斎藤茂吉』(「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」:岩波現代文庫)だが、ベストセラーは『どくとるマンボウ航海記』だった。私も高校生の頃読んだ記憶がある。この『〜航海記』について、「800万部ほども売れたから……」と書いている。『バカの壁』が400万部余、『花火』が200万部余だったから、800万部という数字がどれだけすごいかよく分かる。北が良い作家の一人であることは間違いない。


見知らぬ国へ (新潮文庫)

見知らぬ国へ (新潮文庫)