『芥川竜之介俳句集』を読んで

 加藤郁乎 編『芥川竜之介俳句集』(岩波文庫)を読む。明治34年、芥川満9歳のときの俳句から昭和2年35歳で亡くなるまでの1,159句と、そのほか11の連句と川柳が集められている。
 9歳で作った句が次のもの。


落 葉 焚 い て 葉 守 り の 神 を 見 し 夜 か な

 上手いと思ったが、加藤の解説には次のように書かれている。

このあたりは別段早熟の兆しがあったとも思えず、「鏡花の小説など読みゐたれば、その羅曼主義を学びたるなるべし。」と書き加えている。

 えーっと、「別段早熟の兆しがあったとも思えず」と言っているのは芥川本人なのか加藤なのかよくわからない。おそらく加藤なんだろう。
 有名な「水洟(みずばな)」の句は絶筆であっても辞世の吟ではないと加藤が書いている。亡くなる前年に作られているのだ。


水 洟 や 鼻 の 先 だ け 暮 れ 残 る

 芥川は大正13年におもしろい句を作っている。


草 餅 や 世 を 古 妻 の 乳 の 垂 り


乳 垂 る ゝ 妻 と な り つ も 草 の 餅


乳 垂 る る 妻 と な り け り 草 の 餅

 芥川は明治25年(1892年)の生まれだから、この年32歳、妻の文は24歳だ。そして長男比呂志が4歳、次男多加志は2歳、三男也寸志はまだ生まれていない。まだ24歳なのに子ども2人に授乳して妻の乳は垂れてきたのか? すると、芥川の妻はけっこう巨乳だったのだろうか。自分の少ない経験では20代で乳が垂れる女性というのを見たことがないのでよくわからない。おそらくかなりの巨乳なんだろう。
 芥川はもとより、当時の誰も巨乳云々ということを書いていないはずだ。なにしろ巨乳という概念はアメリカで第1次大戦後、日本では太平洋戦争後に一般化したものだろうから。概念がなければ見ても気付かない。
 以前、『日本植物病害大事典』のために植物の病気の写真を撮りためていたことがあった。ある夏、松本のカミさんの実家へ家族で行ったとき、前年に持って行って庭に植えたヤマユリが大きく育っていたのに、なぜかほとんど落葉していて茎の先に咲いた白い花も黒く萎れていた。それを見て残念だなあとは思ったものの、それ以上何も考えなかった。ずいぶん後で、それが上記の大事典で必要としていたユリの葉枯病であることを知った。結局全国の植物病害研究者もそれの良い写真を持ち合わせていなくて、あの時撮っておけば良かったと後悔した。それも、私が当時ユリの葉枯病の概念を持っていなかったためだった。知らなければ見ても気付かない。
 『芥川竜之介俳句集』はあまりおもしろいものではなかった。それとも私の読みが浅いのだろうか。


 巨乳については以前考察したことがあった。
どうして男たちは巨乳を好むのかーー巨乳論の試み(2007年6月20日


芥川竜之介俳句集 (岩波文庫)

芥川竜之介俳句集 (岩波文庫)