井上ひさし『にほん語観察ノート』を読んで

 井上ひさし『にほん語観察ノート』(中公文庫)を読む。井上ひさしからは教えられることが多い。本書は井上ひさしが、マスコミで見かけた文章をネタに1項目3ページほどで、なかなか含蓄のあるコメントを付けているもの。いくつか拾ってみる。
 最近コンビニやファミレスなどの店員に多いマニュアル敬語について、皮肉っぽく「商業敬語」と言っている。

 こういった敬語壊滅現象は、たぶん、他人との関係が曖昧な、いまの社会を忠実に映し出しているはず。これらのマニュアル敬語のことを、わたしは勝手に「商業敬語」と呼んでいますが、現代の日本社会は、他人との関係を、お金を介在させた売り手と買い手の関係でしか把握できなくなってきている。つまり、店員さんたちは、お客にではなく、お客の財布に、教わった通りに敬語を用いているだけなのだろう。

 語彙数のテストもおもしろかった。NTTコミュニケーション科学基礎研究所が作成したテストで、50の単語をどこまで知っているかで、その人が持っている語彙数が推定できるというもの。「推定語彙数50問」、その50語は、

1.チャンピオン、2.祝日、3.爆発、4.ライン、5.さつま芋、
6.毒ガス、7.枝豆、8.過ごす、9.朝風呂、10.そもそも、
11.見極める、12.香ばしい、13.本題、14.エンゲル係数、15.泊まり込む、
16.預け入れる、17.言い直す、18.たしなみ、19.英文学、20.はまり役、
21.ごろ合わせ、22.労力、23.忍ばせる、24.勃発、25.宿無し、
26.目白押し、27.請負い、28.塗り箸、29.気丈さ、30.茶番、
31.大腿骨、32.術中、33.泌尿器、34.血税、35.悶着、
36.腰元、37.裾模様、38.旗竿、39.かんじき、40.すっこむ、
41.迂曲、42.告諭、43.辻番、44.ライニング、45.輪タク
46.懸軍、47.陣鐘、48.泥濘、49.釜がえり、50.頑冥不霊
(中略)
 使い方が簡単で、そこが気に入りました。たとえば1から10まで知っていて、11以下はわからないなら推定語彙数は8,800語。以下、
15までなら1万3,000語
20までなら1万8,000語
25までなら2万3,000語
30までなら3万語
35までなら3万9,000語
40までなら5万語
45までなら6万語
50まで知っていれば7万語
 わたしは46の懸軍でつまずきました。小学館の『日本国語大辞典』に当たってみると、〈後方の連絡がないまま、遠く適地にはいりこむこと。また、その軍隊。〉と出ていました。という次第で、わたしが持っている語彙数は約6万語。そしてこれはわたしの山勘のあてずっぽうで固有名詞は同じく6万語。合わせて約12万語。結構、永く生きてきたのに、たったこれっぽっちかと情けない気がしますが、しかし「これ」「居る」「ない」「ここ」「行く」「する」ぐらいしか知らないころからよく「懸軍」まで来ることができたものだと、自分の頭を撫でてやりたい気もするのです。

 この本は2002年発行なので多少古さはあり、当時の総理、小渕首相の言葉「文才がございませんので。」が紹介されている。これは新聞記者団から石原慎太郎東京都知事が小説を書いたが、首相ならどんなテーマで書くかと問われて返した答えだった。それを引用して、井上ひさしは、政治家には文才がなくとも言葉に対する鋭い感覚は持ってほしいと言う。

 しかし、政治家には文才がなくとも言葉に対する鋭い感覚は持ってほしい。自己の信念を−−もし幸いにしてそれを持ち合わせておいでならばですが−−国民に説明する、現在の状況を分析し、その上で将来を予測し、その対応策を練る。そしてこれらをすべて言葉にして国民を説得する。これが政治というもので、だから政治家は言葉を磨くことを、その仕事の最高位におくべきなのです。

 そして演説の上手な政治家の具体例を紹介している。

 たとえば、ドイツのアデナウアー首相の「神は人間のかしこさに限度を決めたが、人間のおろかしさには限度をきめなかった」。たとえば、アメリカのケネディ大統領の「人類が戦争を終わらせるか、戦争が人類を終わらせるか、われわれは今、その岐路に立っている」。たとえば、フランスのド・ゴール大統領の「246種類もチーズのある国(フランスのこと)を、一体どうやって治めろというのだ。政府のやることに2つ3つまちがいがあっても仕方ないではないか」。

 また船橋洋一アグネス・チャンの「英語を公用語に」という提言に対して、むしろ日本語を鍛えることが大事ではないかと反論している。船橋洋一の英語公用論の提言を要約すると、いまアジアで官僚や大臣が英語ができないのは日本だけ。そのせいで国際会議での日本の存在感と発言力が弱まっている。インターネットの時代に入り、英語の世界語化も加速していて、メディアも学者もNGOも、英語を使わないとネットワークに入れない。英語を使うことで思考力が鍛えられ、日本語そのものがたくましくなる。

 この英語公用論を知って最初に浮かんだ感想は、英国首相チャーチルの逸事です。古い話で恐縮ですが、フランス語ドイツ語イタリア語がわかっていたのに彼は国際会議には必ず通訳をつけた。決して相手の言葉では話そうとしなかった。なぜか。その理由を彼はのちにこう語っています。
「私は英国の利益を代表している。それなのに、たとえばフランス語を知っているからといって、フランス語で話しはじめると、とたんに自分の脳が偽フランス人のようになり、フランスの政治文化や価値観に自分を合わせてしまう。英国の利益を主張するときは、やはり英語で考え、英語で言い、通訳に逐語訳してもらうしかない」

 これらの大政治家にはそれぞれスピーチライターとギャグライターが付いていたという。喜劇作者のニール・サイモンも一時期、フォード大統領のギャグ・ライターをしていた。大統領就任演説冒頭の「私はフォードであってキャデラックではない」というのもニール・サイモンの作。これは「私は大衆車フォードに乗る人びとの一員であってキャデラックに乗るような金持ちの代表ではない」という意味だそうだ。
 有益な読書だった。


にほん語観察ノート (中公文庫)

にほん語観察ノート (中公文庫)