伊集院静『いねむり先生』を読む

 伊集院静『いねむり先生』(集英社)を読む。先日テレビ朝日でドラマ化されたものを録画しておいて見た。いねむり先生こと阿佐田哲也、別名色川武大と作家の伊集院静の交流の物語。ドラマを見たあと、原作ではどのように描かれていたかとこれを読んだ。
 本書は伊集院静の自伝の要素を色濃く持っているようだ。伊集院をドラマでは藤原竜也が演じていた。結婚したばかりの女優(夏目雅子らしい)を突然白血病で亡くしてしまい、期待されていた作家の道を自分から閉じ、ギャンブルに明け暮れる日々を送っていた伊集院に、心配した漫画家のK(黒鉄ヒロシ)からいねむり先生を紹介される。西田敏行演じるいねむり先生はナルコレプシーの持病を持っていて、初対面から突然熟睡してしまう。
 先生に気に入られた伊集院はしばしば競輪や麻雀を共にする。転戦する競輪選手を追って二人で旅打ちにまで出かける。各地で異常なほどの尊敬を受けている先生の人気や激しい戦い方を目の当たりにする。
 伊集院から見た先生は優れた勝負師であり、心配りを怠らない優れた師でもある。先生との付き合いで伊集院の心の病も徐々に癒えていく。
 ドラマでは何度も姿を見せた夏目雅子が小説ではほとんど登場しない。テレビドラマに華を添えるために登場させたのだろう。それ以外はドラマと小説で大きな改変はなかった。
 いねむり先生が伊集院にとって大切な人だったことが分かる。しかし小説で描かれるのは、ほとんど伊集院のことだけだ。先生の深い内面やその本質にまで触れることがない。どのような作家だったかについても言及がない。いねむり先生という大切な人を、自分を再生させてくれた人、お世話になった恩人という視点からしか描かれていない。先生その人を描くための踏み込みが足りない印象が強かった。
 亡くなる夏目雅子の描写がきわめて浅薄だったのは、そのシーンが原作になく、テレビドラマ化に当たってのシナリオライターの創作によるものだったので、伊集院を責めることはできない。
 夏目雅子という不世出の美女を演じた女優も、仕方ないことだが不満の残る配役だったことは否めない。映画だったら十分なギャラを用意してちゃんとした美女を選ぶことができたかもしれない。私は夏目雅子のファンではないが、山田宏一『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』(平凡社ライブラリー)を読んで、フランスの映画監督クリス・マルケル夏目雅子に狂って、「グレタ・ガルボ以来の美女だ!」と熱狂したと聞いて、彼女の美しさを知ったのだった。
 辛口の評を書いたが、「先生」の優れた伝記でもある四方田犬彦『先生とわたし』(新潮文庫)とつい比べてしまう。


「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」を読んで(2008年3月3日)
「先生とわたし」を読む(2011年9月2日)


いねむり先生 (集英社文庫)

いねむり先生 (集英社文庫)