あるアートフェアで映像作品を見た。小さなモニターに映し出された映像はぼんやりした若い女性の顔を示している。そのぼんやりした顔ですぐに、この映像がどのようにして作られたか分かった。たくさんの顔写真を顔の1点を中心にして合成したのだろう。
昨年の東京都写真美術館で見た「日本の新進作家展 vol. 10 写真の飛躍」で見た北野謙の作品とよく似ている。北野は「アニメのコスプレの少女たち34人を重ねた肖像」や「天安門広場を警備する陸軍兵士24人を重ねた肖像」「原爆慰霊の灯籠を流す39人を重ねた肖像」「コモリン峠で日の出を見るヒンズー教徒の巡礼者23人を重ねた肖像」等々を出品していた。北野のテキストより、
一見一人のように見えるかもしれないが、この作品はある集団のメンバー全員が重なり混ざり合った群像写真である。私は世界中の様々な他者に会いに行き、現場で撮影した何枚もの肖像を、暗室で1枚の印画紙に重ねてイメージを作っている。これらの肖像は数十人の〈個〉が集積化、重層化した共同体のアイコンである。
北野は世界各地へ出かけていき、そこで撮影した写真を重ねて焼いている。もう一人思い出したのが作間敏宏だ。2006年12月にスペースKobo & Tomoで行われた作間敏宏個展で、作間は大きなモノクロの女性ヌード写真を10点ほど展示した。作間によると個々のヌード写真はネットからダウンロードした100人の画像を重ね合わせているのだという。
アートフェアに出展している画廊主に話を聞いた。画像はネットから集めたもので、きわめてゆっくりと動いている動画だという。早送りして見せてもらうと表情が変わっている。これはビル・ヴィオラを思い出させる。
つまり、北野謙と作間敏宏の方法に、ビル・ヴィオラを加味した作品ではないか。しかし、新人作家たちが登場するときに先輩の手法を模倣したところから始めるのはしばしば見られることなのだ。
棚田康司の最初の個展は神田のギャラリーミリュウだったが、舟越桂風の木彫を戸谷成雄風に電動ノコギリを使って作っていた。丸山直文も最初はモーリス・ルイスとよく似た手法で抽象作品を作っていた。難波田龍起もサム・フランシスも最初はブラックに似ていなかったか。ポロックはピカソを模倣していたし、バーネット・ニューマンもシュールレアリスムから出発していた。ジャッドも最初抽象表現主義風の下手な作品を描いていたと草間彌生が書いている。
しかし、名声を得てからの模倣は問題なしとしない。昨年Bギャラリーで開いた個展で、某有名作家は切手シートの作品を展示した。切手の画像は自分が扮した西洋名画の人物だった。切手シートの作品といえば太田三郎が思い出される。太田は初め植物の種を封入した切手シート作品を作っていたが、ここ10年ほどは太平洋戦争に関する写真−−戦争孤児の写真や被爆した木の写真等々−−を使用した切手シート作品を作っている。またもう一人堀川紀夫を思い出す。堀川はアメリカのブッシュ大統領だったかを単片の切手作品に仕立てていた。某有名作家の切手シート作品は、太田と堀川の折衷作品にしか見えないし、しかも太田や堀川が持っている鋭い批評性が感じられない。ふと門田秀雄が書いているはずのきわめて秀逸な瀧口修造論「批評も思想ぬきで成り立つ」を思い出した。
北野謙については、
・東京都写真美術館の「写真の飛躍」展がおもしろい(2012年1月17日)
作間敏宏と門田秀雄については、
・作間敏宏個展を見る(2006年12月28日)
・作間敏宏展が導くもの(2007年3月2日)
・門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」(2007年8月3日)