世田谷美術館で松本竣介展を見る


 世田谷美術館で生誕100年松本竣介展が開かれている(1月14日まで)。そのパンフレットから、

松本竣介(1912−1948)は、昭和前期の近代洋画史に、一種独特の足跡を遺した画家でした。新しい時代の絵画を標榜しつつも、過激なだけの前衛性や画壇での政治的栄達には背を向け、あくまでも個としての自由を貫きとおした凛然たる表現者であったともいえるでしょう。戦時下、都会の一隅にあって時代の趨勢や生活者としての現実をきわめて冷静に見つめながら、同時に、絵画にみずからの生死を賭した彼は、わずか36歳という若さで病に倒れ夭折してしまいました。しかし、その厳しくも清廉なる画家精神は、作品のなかに今なお息づいており、多くの人々をミリュウしつづけています。
 少年時代を過ごした盛岡で13歳のときに聴覚を失ってのち、画家になる決意を固めた竣介は、1929年に上京。以後の約20年間が、短いながらも起伏に富んだ竣介の画歴となりました。本展では、その画歴を大きく4つの章に分けて紹介します。二科展を舞台に頭角を現し、都会の律動をさまざまに描き出していった前半期の作品。そして、大きな画風の変化を見せた1940−41年以後の後半期の作品群からは、謎めいた人物画や静まり返った風景画を。さらには敗戦後、他界する直前に着手した新たな画風まで、本展は、油彩・約120点、素描・約120点、スケッチ帖や書館などの資料・約180点をもって、この不世出の才人・松本竣介の足跡をつぶさに振り返ります。

 みごとな総括だ。ここで4つの章と言われているものは、具体的に下記のようになる。
1.前期〔1927年〜1941年頃〕
2.後期:人物〔1940年頃〜1948年〕
3.後期:風景画〔1940年頃〜1947年〕
4.展開期〔1946年〜1948年)
「1.前期」では20代後半の青が主体のモンタージュ作品に見るべきものがある。ピカソの「青の時代」に通じる作品群だ。才能がはっきりと現れている。
「2.後期:人物」の自画像群がすばらしい。「立てる像」は30歳のときの作品で松本の代表作のひとつだ。婦人像のデッサンは藤田嗣治を思わせる。

「3.後期:風景画」も優れた作品が目白押しだ。「並木道」「議事堂のある風景」「鉄橋付近」「ニコライ堂」そして代表作「Y市の橋」。
「4.展開期」で画風が変わる。絶筆「建物」がすばらしい。しかし、実はこの作品は今回展示されていなかった。東京国立近代美術館で開かれている「美術にぶるっ!」に並べられている。
 松本竣介をまとめて見るのは初めてだった。美術評論家針生一郎が、戦後の最も優れた画家3人のうちの一人に挙げていた(他の2人は、鶴岡政男と麻生三郎)。3人は極論にしても優れた10人の画家には入るだろう。
 カタログが充実している。400ページを超えているのだ。評論も、加藤俊明、有川幾夫、水沢勉、加野恵子、長門佐季、柳原一徳、原田光、酒井忠康と8人が43ページにわたって書いている。
 竣介の自画像といえば、銀座の小林画廊が所蔵している麻生三郎の人物像が、おそらく竣介を描いたものだろうと小林画廊の方が言っていた。自画像と比べてみれば確かによく似ている。
麻生三郎の描く松本俊介像?(2009年10月24日)

松本竣介「自画像」

麻生三郎「人物像」
 さて、もう20年ほど前、飯田市にわが師 山本弘の未亡人宅を訪ねた針生一郎さんが、山本弘の遺作を見ながら、「これは松本竣介より良い」「これは香月泰男より良い」と言われたことが忘れられない。
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松本竣介展「生誕100年」
2012年11月23日(金)−2013年1月14日(月)
10:00−18:00
月曜休館(ただし12/24、1/14は開館、12/25は休館、12/29−1/3は休館)
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世田谷美術館
東京都世田谷区砧公園1-2
電話03-3415-6011
http://www.setagayaartmuseum.or.jp