宇佐美承『池袋モンパルナス』がおもしろかった

 宇佐美承『池袋モンパルナス』(集英社文庫)がおもしろかった。池袋モンパルナスというのは、昭和の初めから敗戦まで、東京池袋周辺にあった芸術村の別称で、当時多くの貧しい絵描きたちが集まって住んでいた。命名者は詩人の小熊秀雄ということだ。
 主な画家は、松本竣介靉光丸木位里、寺田政明、長谷川利行、麻生三郎、井上長三郎等々だ。池袋周辺に集まっていた画家たちというと、ごく一部の者たちではないかと思われるが、池袋モンパルナスの住人や、その友人たちを数え上げれば膨大な人数になる。文庫で600ページもあり、巻末の索引には800人近くの名前が並んでいる。
 つまりたいていの画家が登場人物となっている。近代日本美術史に関心があったら、必読書といえるかもしれない。宇佐美は膨大な人数の画家たちに会って話を聞いている。亡くなった画家については遺族や友人から話を引き出している。ほとんど伝聞ではなく、いわば一次資料から本書を書き上げている。それも年表のように無味乾燥なものではなく、豊富なエピソードを連ねておもしろく語っている。
 末尾に近く小川原脩という画家のことが語られる。小川原は美校出のシュールレアリストだった。戦時中、軍部に協力して本気で戦争記録画を描いて、決選美術展で陸軍大臣賞をもらって喜んでいた。当時の仲間たちがそんなことを話して、だから戦後は郷里の北海道で逼塞しているという。宇佐美は1970年ころ、銀座の文芸春秋画廊で偶然小川原の個展を見た。犬たちの群れから離れて寂しそうにしている子犬の絵があった。それが妙に心に残った。それから十数年して銀座の東京セントラル美術館で再び個展があった。最終日に行ったが、時間に間に合わなくて片づけているところだった。図録をもらって帰りの電車の中でみた。そこに書かれた文章は、小川原が戦後傷つき耐えていることを想像させた。宇佐美は北海道に会いに行く。小川原はその父のことから話してくれた。戦中の軍部との複雑な関係などを。そして戦後再建した美術文化協会から除名通知が届いた。戦争責任を押し付けられて除名されたと、小川原は傷ついた。
 宇佐美は北海道から帰ってから昔の仲間たちに小川原のことを話した。こんな風に印象に残るエピソードが満載されている。優れた仕事だと思う。
 著者の宇佐美は朝日新聞記者を経て記録文学作家となる。『さよなら日本―絵本作家・八島太郎と光子の亡命』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞、ほかに『求道の画家松本俊介』という著書があるという。ぜひ読んでみたい。




池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち (集英社文庫)

池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち (集英社文庫)