古いカラーネガが見つかった。1976年の飯田市勤労者福祉センターでの山本弘展を撮影したものだ。撮影日は9月13日とフィルムカバーにメモしてある。もう34年も前になるのだ。当時の山本弘は46歳、愛子夫人が35歳、一人娘の湘ちゃんがやっと5歳だった。山本弘はこれを含めて、1977年に1回、1978年には2回と、3年間で4回の個展を開くが、再び酒浸りの生活に戻り、1980年にアル中治療のため飯田病院へ入院し、翌年退院して間もなく亡くなった。
「山本弘展」の看板は本人が書いた。
作品「制多迦童子」の横に立つ山本弘
中央が山本弘、右が愛子夫人、左は誰だっけ、忘れた。
一人娘湘ちゃんと山本弘
若かりし日の愛子さん。山本弘はモジリアニの描くような女性が好きだった。ちょっと似ている。
展示の一部。上段左から「山○」(1字不明)「青年」、下段左から「人身柱」「裸の人」「自画像」
展示の一部。上段左から「堤」「童」、下段左から「路地裏」「箱」「水神」
会場風景。手前に並んでいる白いものは愛子さん作のブローチ。
ついでに当時の日記を探し出してみた。
9月10日(金)晴れ
帰郷。山本さんの個展展示の手伝い。ソネ、清水監さんらと。きょうから15日まで休暇。
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9月11日(土)曇り
山本弘展、きょうから3日間。飯田市勤労者福祉センター2F音楽室にて。展示52点。
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9月12日(日)曇り
活司、せい子ちゃんら展覧会場へ来る。原と俺んちで食事。台風17号岐阜長良川輪中の堤決壊す。富山和子の著書思う。
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9月13日(月)曇り
関さん、小原さんの奥さんら会場で会う。夜片付け。
日記では9月9日に「毛沢東死す」とある。山本弘さんの友人たちも亡くなってしまった、関龍夫さんは1985年86歳で、清水監さんは1991年80歳で、小原泫祐さんは去年85歳で、小原さんの奥さんは今年3月に亡くなった。3人とも絵描きだった。