村上春樹のカポーティの評価

 雑誌『考える人』(新潮社)の2007年春号の特集「短篇小説を読もう」に青山南の選んだアメリカの短篇選8点が紹介されている。その中にトルーマン・カポーティ「見知らぬ人へ、こんにちは」がある。短篇集『カメレオンのための音楽』(ハヤカワ文庫)に収録されている。

 トルーマン・カポーティの『カメレオンのための音楽』は、ノンフィクション・ノヴェル『冷血』の生みの親だけあって、フィクションとノンフィクションが入りまじった短篇集だが、ロリコン男の恐さをチラッとのぞかせる「見知らぬ人へ、こんにちは」の薄気味悪さはハンパではない。おどろおどろしい言葉などいっさい使わずに、淡々とした会話のなかにゾッとさせる瞬間を描く。この短篇集はカポーティの最高傑作である。

 そんなに素晴らしいのならと読んでみた。その結果は「読んでみてあまり感心しなかった。」と書いた。
トルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」(2009年2月8日)
 カポーティの初期の短篇集『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)の村上春樹訳の解説で、村上も『カメレオンのための音楽』を評価していない。

 その作品(『冷血』)はカポーティにこれまでにない名声をもたらした。ほとんどすべての人々が、その本の放つ根源的なパワーと、美しいまでに刻明な人物描写に圧倒された。これもまた、まさに現代の古典と呼ぶに相応しい作品となった。流麗な文体を駆使するスマートな都会派の作家は、『冷血』を経て、押しも押されもせぬ本格的作家へと変身したのである。しかしその本はカポーティに名声をもたらすと同時に、彼の中から多くの活力を奪っていった。(中略)
 少なくともフィクションに関していえば、1950年代に彼が見せた圧倒的なまでの輝きはもう戻ってはこなかった。ひとことで言えば、小説を書くことができなくなったのだ。彼が1980年に発表した短篇集『カメレオンのための音楽』は正直なところ、無理にひねり出されたような不自然さを感じさせる作品だったし、死後に発表されたスキャンダラスな問題作『叶えられた祈り』はとうとう未完のままに終わってしまった。どちらの本もカポーティとしては満足のいく出来ではなかったはずだ。

 私もカポーティは『ティファニーで朝食を』の中の「クリスマスの思い出」に尽きると思う。

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

ティファニーで朝食を (新潮文庫)