インドで私も考えた

 ずいぶん昔になるが、アジア太平洋雑草学会がインドのバンガロールで開かれ出席したことがある。2週間の出張と言うことで、カミさんは生まれたばかりの娘を連れて遠くの実家へ帰ってしまった。やむなく50〜60鉢あった盆栽は2鉢を残して処分した。
 インドではびっくりすることが多かった。メインストリートの歩道でしゃがんでいた男の子が立ち上がるとそのまま歩き去ったが、後にはウンコが残っていた。拭かないのだ。観光バスから降りて名所を見て、1時間以上経ってバスに戻るとその間大勢の乞食達がバスの入口で待っている。街なかでも日本人と見ると箱車に乗ったイザリがどこまでも追いかけてくる。ガイドによると、日本人はインド人の10倍以上の金額を施すので効率がいいのだという。と言ってもたかが10円くらいだ。
 タバコを買おうと外国タバコを指差してそれをくれと言うと、差し出されたタバコは封が切ってあった。こいつ封が切ってあるタバコを売るのかと身構えたら、その箱から1本だけ取れと言う。1本売りが習慣みたいだ。新しい箱をくれと言って1箱買った。何と、外国タバコの1本の値段がインドのタバコ1箱の値段と同じで、そのインドタバコ1本の値段がビディーとか言う下層階級の吸うタバコ1束と同じ値段なのだ。つまり外国タバコ1箱はビディーの200倍くらいの値段がする。
 いま日本のビディーたるゴールデンバットがいくらするか知らないが、仮に100円だとしたら、外国タバコ1箱は2万円の勘定だ。リキシャの運転手に外国タバコを1本あげたが、吸わないで大事そうに胸ポケットにしまっていた。
 学会には県の農業試験場の研究者たちが出席したのだが、一緒に行った研究者が宝石店の店頭でズボンを下ろして腹巻きから財布を出していた。店の女性が、Oh! Japanease style. と言ったから現地では珍しくもないのだろう。
 インドに行くにあたり私は2つの英語を覚えていった。Keep the change. 「釣りは取っときな」と、May I take a photograph of you? 「写真撮ってもいいですか」。後者を言うと全員が首を横に振った。それで撮るのを諦めた。乞食の親子、銃を持った兵隊、きれいな娘さん、首を横に振るのはイエスだと知ったのは帰国してからだった。
 インドでは日本に比べて物価がきわめて安かったが買う物もなかった。いいと思った生地は日本製だった。何か土産品をと探してようやく線香を買ってきて親戚に配った。大人になった娘にそのことを話すと、父さん三蔵法師みたいだねと言った。すかさずカミさんが、頭が沙悟浄でお腹が猪八戒よと言った。
 帰国した後、なぜか時間が経つに連れてインドに対する好感度が増していった。帰国後2、3年でインドに関する数十冊の本を読んだ。いまではインドは最も好きな国だ。スチュワーデスたちが一番嫌う国の一つだそうだが。
 ホテルはで2週間、学会に参加した男性研究者と2人で同室だった。当時は私も若かったので、そのことがとてもとても辛かった。髪をかきむしる思いだったのをわずかに憶えている。次回の学会参加からようやく1人1室になったのだった。