大阪のお好み焼き屋「ぼてぢゅう」と森村泰昌

mmpolo2007-08-31




 昔から時々、と言っても年に1,2回、ぼてぢゅうへ行ってお好み焼きを食べる。なかなかうまい物だと思っていた。それを大阪出身のやつに話すと、東京のぼてぢゅうは本物のぼてぢゅうじゃないと言う。「ぼてぢゅう」は大阪のお好み焼き屋だ。看板が一緒なのに違うわけがないだろうと思っていた。でも新幹線の新大阪駅地下飲食店街のぼてぢゅうはうまかった。
 しばらく前に大阪出身のアーティスト森村泰昌が新聞にエッセイを書いていた。仲間と渋谷にいるときにお好み焼きを食べたくなり、ずいぶん探したら渋谷のはずれの方に大阪のチェーン店のお好み焼き屋があった(これって宮益坂上のぼてぢゅうじゃん)。仲間と入ったが半分食べない内に出てきた。これは全然違う別物だ。ここの料理人は大阪の本物の味を知らないのだ。とまあ、こんな風に激烈に書いていた。先に挙げた大阪出身のやつと同じ意見だ。これは傾聴するしかないだろう。
 森村泰昌マリリン・モンローなどの俳優に扮したり、有名な絵や彫刻などに扮したりしてそれを写真を撮っている。私はどうしてもそのことを評価することができない。シンディ・シャーマンの二番煎じとしか思えないのだ。シャーマンにあった批評性も森村では薄まっている。ベトコンを撃ち殺す米兵の有名な写真にも扮しているが、ここで森村は何を言いたいのだろう。米兵もベトコンも森村が扮している。殺す者と殺される者は同一人物だとジョン・ダンの詩のようなことを言っているのではあるまい。フリーダ・カーロの自画像を再現しているが、これって上手なコスプレ以上の意味があるのだろうか。(写真参照)
 私には分からない。


 参考までにジョン・ダンの詩

なんぴとも一島嶼にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
本土のひとひら そのひとひらの土塊を
波のきたりて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは
さながらに岬の失せるなり
汝が友どちや汝れみずからの荘園の失せるなり
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺ぐにひとし
そはわれもまた人類の一部なれば
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
そは汝がために鳴るなれば