ドイツの哲学者ヘリゲルの伝える日本の弓道

 アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展を東京国立近代美術館で見た。ブレッソンは戦後日本にも取材旅行に来ている。ドイツの哲学者ヘリゲルの「弓と禅」を読んで日本への関心を持ったのだという。ヘリゲルは戦前日本に招かれて東北帝国大学で哲学を講義した。このとき弓道に惹かれ弓の名人阿波研造に弟子入りする。5年後ドイツへ帰国する前に弓道五段の免状を与えられた。
 オイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」(岩波文庫)から。
日本の弓術 (岩波文庫)

私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い1本の蚊取線香に火をともして、それをあずちの中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的はまっ暗なところにあり、蚊取線香のかすかに光る1点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と2本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ちこまれた。先生は私を促して、射られた2本の矢をあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中(あ)たってそれを二つに割いていた。

 私には84歳になる伯母がいる。もう腰も曲がっていて足元もおぼつかないように見える。この伯母が若いころから弓を引いていてまだ現役だという。こんど見にいらっしゃいよ、弓を引くときは腰が伸びるのよ。伯母にこのヘリゲルのエピソードを話し、こんなことが本当にできるのか聞いた。伯母曰く、そんなことは何でもないけど、矢が割けてしまうのでもったいないじゃないの。