クレオパトラ一族の複雑な家族関係

 昨日紹介したポーランドノーベル文学賞受賞詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカは、30年にわたり数百冊の本の書評を書いてきた。その一部が、『シンボルスカ詩集』(土曜美術社出版販売)に抄録されている。そこに取り上げられているアンナ・シヴィデルクヴナ『七人のクレオパトラ』の書評から、

 有名なクレオパトラプトレマイオス朝の女王だったが、この王朝には7人のクレオパトラがいた。有名なクレオパトラはその7代目だった。

 

(……)プトレマイオス朝は、ファラオの伝統に基づき、王は神々同様自分の姉妹たちと結婚することになっていた。これは形式のみならず、その逆で共通の子孫を持つという大義名分があった。この子孫たちがまた互いに結婚しあい次の世代を形成し合っていた。こういった訳で、母は同時に自分の子供たちの叔母となり、父は彼らの叔父となった。勿論このことは、息子は父にとって姉妹の息子すなわち甥となり、姪の娘となり、母にとってしかるべき甥と姪になり、そして自分自身にとっては兄弟姉妹であり従兄弟従姉妹の関係であった。複雑さは、ここからまた哀れな被相続人の数の増幅となっていく。この子供たちは、われわれ同様二人の両親を持ちつつ、四人の祖父母の代りに二人だけのそれを持つことになった。八人の曽祖父母の代りに二人のそれ、というふうに突然、思いがけない飛躍ということもあり得るが、これがかのクレオパトラ七世に起きたのであった。彼女は二人の祖父母を持ち、二人の曽祖父母を持っていたが、突然四人の曽々祖父母を持つことになる。百何年か前に、何か他人の血が家族の基本的細胞の中に侵入してきたというのか? いやいやそうではない。番外の例外ということで、これはクレオパトラ二世が、先ず最初に兄と婚姻し、そして彼の死後、弟と婚姻したためである。弟は未亡人となった兄嫁に満足しなかった。彼女の死を待たずに、その最初の結婚でもうけた娘と結婚した。つまり自分の姪だったものが妻となった。この女性は、自動的に自分の母の義妹(彼女の義弟の妻として)となり、彼女の多くの子供たちは、父方の叔父の子(母の義弟であり夫としての)を産むことになる。これ以上、このこみいった関係を説明するエネルギーはないが(この本の中にはこの系図が載せられている)、このようにしてクレオパトラ七世の曽々祖父母の数が倍増していった訳である。(中略)近親相姦というものが、外見上は単純にみえても非常に複雑怪奇なものであったことは想像にかたくない。

 

 いや、もう分からない。日本でも平安時代天皇に似た事例があったようだが。