岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読』を読む

 岡野宏文豊崎由美『百年の誤読』(ぴあ)を読む。1900年から2004年までのベストセラーから10年ごとに10冊を選んで岡野と豊崎が寸評を加えている。これがやたら面白かった。
 1914年のベストセラー、阿部次郎『三太郎の日記』について、「こいつとにかく、とめどもない脳天気野郎なんですよ。読んでいてムッときまくり」。(岡野)と言い、豊崎が、「1行に2回くらいずつ〈よりよく〉って言葉が出てくる文章が延々と続くの。(……)まるで晩年の武者小路実篤のよう(笑)」って言っている。その「晩年の武者小路実篤」に脚注がついている。

晩年の武者小路実篤 
一例を挙げてみますね。〈僕も89歳になり、少し老人になったらしい。/人間もいくらか老人になったらしい。人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くなったかもしれないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当のことはわからない。/しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。(後略)〉

 1920年の賀川乙彦『死線を越えて』について、「大正時代最大のベストセラー、未曽有の評判と記録されていますが、未曽有の馬鹿本だよ」。(岡野)「面白い本! ただし、大いなる人類愛の良書ではなく、巨大なるトンデモ本として」。(岡野)
 また、1927年の藤森成吉『何が彼女をそうさせたか?』にからめて、

豊崎  爆笑を呼ぶトンデモ本ぶりが似ている賀川乙彦『死線を越えて』も、そういえば大正時代最大のベストセラー。やっぱり昔からベストセラーに良書なしなのかなあ。

 1928年の林芙美子『放浪記』については、

岡野  しかもユーモアがあるんだ、この人には。自分を笑う視点がね。赤裸々な告白本を書く人は、この絶妙な自意識のありようを勉強してほしいよ。誰とは名指ししないけどさ。

 その「誰とは名指ししないけどさ」には脚注があって、

名指しして下さいよ。(豊)
エッ、誰、誰? 植物系の名前の方? おそらく。(岡)

 誰かわかったら教えてください。
 サルトルの『嘔吐』について、

豊崎  売れ行きでちょっと驚かされるのが、サルトルの『嘔吐』です。書かれたのは1938年と戦前なんですけど、これが翻訳されるや1946年の日本のベストセラーリストで第5位! ホントに読んだのかよ、っていうか読めたのかよ、当時の日本人!

 1949年のミッチェル『風と共に去りぬ』について、「で、どこが面白いの?」(岡野)、「ホントに、ねえ」。(豊崎)ヒロインのスカーレットのことを、「知能なし、長期記憶なし、あるのは美貌と押し出しの強さだけ。しかも、根性悪で狂暴。社会病質者みたいなキャラなんですよね(笑)」。(豊崎
 1956年の深沢七郎楢山節考』については二人ともほめている。

豊崎  物の本によると、深沢さんは色紙に「人間が死ねば平和になる」とお書きになって座右の銘とされていたそうです。『人間滅亡の唄』という作品の中では、悪いことは全部、人口過多のせいだと、日本の人口は500人でいいと、そうおっしゃっておられました。傾聴。

 この意見には私も賛成したい。500人は超暴論で、現在の数分の1でいいかなと。江戸時代の人口くらいでどうだろう。
 1981年の田中康夫『なんとなく、クリスタル』は、「会話がひどい」。(岡野)「地の文もひどいですよね」。(豊崎
 1982年の穂積隆信積木くずし』。

岡野  ムカつくっていえば、『積木くずし』の穂積隆信にも相当ムカついたな。だって、この人、娘さんのこと愛してるふりしてるだけに見えるんだもの。
(中略)
豊崎  この本を出すこと自体が虐待ですよね。

 1997年の渡辺淳一失楽園』は二人とも全否定で深く納得。「ジュンちゃん(渡辺淳一)はセックスのテクニックを美女から絶賛される主人公・久木に自らを投影して、自分を褒めたたえているにすぎないんですよ、たぶん」。(豊崎
 2004年の片山恭一世界の中心で、愛をさけぶ』について、タイトルをハーラン・エリクソンの傑作短篇『世界の中心で愛を叫んだけもの』からパクッている。

岡野  中身もパクリ。村上春樹の『ノルウェイの森』でしょ、これ全部。冒頭の主人公がグジュグジュ泣いているところも、最初のページから、これから語ることは十数年前に起きたことだということを明らかにしてるとこも、それから『ノルウェイの森』のラストシーンで主人公が公衆電話を掛けながら語るフレーズなんて、「まんま」みたいに使い回して涼しい顔のありさま。

 いや、面白かった。また、ベストセラーなるものがほとんど読む必要のないことも分かった。


百年の誤読 (ちくま文庫)

百年の誤読 (ちくま文庫)