荒川洋治『文庫の読書』を読む

 荒川洋治『文庫の読書』(中公文庫)を読む。荒川は詩人で書評家、私の大好きな文筆家だ。ここには荒川が書いた文庫本の書評が100冊分集められている。

 気になったところを引用する。三浦哲郎『盆土産と十七の短篇』の項で、荒川が評価する短編が列挙される。

 戦後の最上の短編としては、中野重治「萩のもんかきや」、佐多稲子「水」、耕治人「一条の光」、深沢七郎「おくま嘘歌」、安岡章太郎「サアカスの馬」、吉行淳之介葛飾」、三島由紀夫「橋づくし」、田中小実昌「ポロポロ」、色川武大「百」、阿部昭「昭和四十二年夏」などが思い浮かぶが、三浦哲郎の場合は新しい情感を描く点で際立つ。「じねんじょ」「みのむし」で二度にわたって川端康成文学賞を受賞。一字一句ゆるぎない筆あと。それはこれから先も、とうといものになるだろう。

 

 吉行の「葛飾」は何年か前に読んだが、もう一度読み直してみた。これが最上の短編と言われれば疑問に感じざるを得ない。「萩のもんかきや」はあちこちで評判の良い短篇だが。

 ガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って/太陽の男たち』(河出文庫)は、心を強く揺さぶる作品集だ。中東の現実を知るために、人間について考えを深めるためにも、この本を開きたい、と荒川が紹介している。あまり知られていない作家だが、これは必読と言ってもいい傑作だ。昔読んだが強く印象に残っている。

 武者小路実篤の詩を紹介して、次に荒川が実篤の詩に似せて作ったものを並べている。

 

(……)まずは実篤の詩。

 

自然は元気

俺も元気

俺はよろこんでゐる、

自然もよろこんでゐる。

 

 これを、鏡に映すようにことばを並べて、つくってみると――。

 

俺は人間が好き

君も人間が好き

二人はしあわせだ、

人間であることはしあわせだ。

 

 ほら、できた。こうして似たような詩は即座にできる。実篤の詩の内容とも、リズムとも、だいたい同じようなものが、どんどんできる。実篤風の詩のつくり方は、次の通り。

 

  1. 思い浮かんだことを書き、
  2. もう一人、あるいは別の物を出し、
  3. 二つを一緒にしたあと、
  4. 「美しい」「しあわせだ」などの語句で結ぶ。

こうすれば、できあがりである。こんなに簡単に作れる詩はない、とまで思うのである。

 表現の工夫をしないこと、具体的な描写をしないこと、おおまかにすること、細かいことに触れないこと、少し道草をすること、繰返しを多くすること、結論はシンプルであること。以上をめざせば、実篤の詩(?)は、できあがる。

 

 『西脇順三郎詩集』(岩波文庫)を紹介して、

(……)ぼくがいちばん好きなのは、「夏(失わっれたりんぼくの実)」。可憐で、ユーモアがあり、リズムも、かなしいほどに、楽しいのだ。「永遠」の流れを見た。そんな気持ちになる。日本には、この一編があるのだと思う。

 

 岩田一男『英単語記憶術』(ちくま文庫)を紹介して、

 30年前、ギリシアに取材に行ったとき、アメリカから来た女性記者とたまたま話す機会があった。ぼくは英会話がまったくできないけれど、知っている英単語をなんとか使いながら、アメリカの作家マラマッドについて、二人で話をした。楽しかった。

 少し深い話をしようというときには、英会話の技術ではなく、英単語が力になることがわかった。また、そこでする話に、それなりの内容があれば、会話はなんとか成立するのだということも。もちろん会話ができるに越したことはないけれど、ひとつのことに知識や意見をもつことも大切なのだと思う。

 

 ショーペンハウアー『読書について』(光文社古典新訳文庫)の評価は高い。

 読書とは何かを知るためにはこの本しかない。これまでも、これからも。

(中略)

「書く力も資格もない者が書いた冗文や、からっぽ財布を満たそうと、からっぽ脳みそがひねり出した駄作は、書籍全体の9割にのぼる」。また、「うわべの文学」と「真の文学」に分け、それぞれを「流出の文学」「不動の文学」といいかえる。いまは「うわべの文学」「流出の文学」だけが評価される、と。読書の最大の要点は「悪書」を読まないこと。「いつの時代も大衆に大受けする本には』手を出さないのが肝要。「人々はあらゆる時代の最良の書を読む代りに、年がら年じゅう最新刊ばかり読み、いっぽう書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、みずからつくり出したぬかるみにはまっていく」。読めばいいというものではない。読書そのものが「悪書」になることも多い、ということなのだろう。

 

 私見では、「本屋大賞」なるものは「大衆に大受けする本」に与える賞に他ならないだろう。このような悪書には「手を出さないのが肝要」。

 さすがわが愛する荒川洋治だ。本書を読んで読みたい本がまたたくさん増えてしまった。