藍画廊の阿片陽介展を見る

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DM葉書

 

 東京銀座の藍画廊で阿片陽介展が開かれている(9月18日まで)。阿片は1987年神奈川県生まれ、2010年に多摩美術大学美術学部工芸学科陶専攻を卒業し、2017年に筑波大学大学院博士前期課程芸術専攻総合造形領域を修了している。2015年に藍画廊で初個展、以来藍画廊では数回目の個展となる。

 2019年に阿片陽介展を紹介した折り、長谷見雄二さんが卓抜なコメントを寄せてくれた。まず、それを引用したい。

阿片さんは、半ば偶然に最初の個展を見てからずっと見ています。基本、釉薬をかけた陶芸なのですが、土器の遺産を独自に活かそうとしているところに注目しています。

「土器の遺産」というのは、縄文の大きい壺やアフリカの伝統的な土器の外観には、使われ方や製作過程から来る膨張感があって、人体を感じさせたり内部に魂が宿ることを感じさせるところがありますが、あの感じです。焼き物が、その後、実用性と商品性を高めるために陶器、次いで次に磁器になってくると、この趣は後退してしまいました。

阿片さんも初期の頃は、土器的なものを陶器でどうしたら表現できるかに関心が傾きすぎて、その表現で何をしたいのかが十分、整理されないまま、試行錯誤しているように見えました。前回個展ではそれを抜け出して、土器的な技法で見たこともないような形が現れてきたと思いました。今回は、更にテーマが絞られてきたようです。大きな陶作品は、いずれも、「わけがわからなくなってきた現代の中で寄る辺なく佇んでいる人」を表しているかのようです。それを、ちょっと哀愁のあるとぼけた造形で、彫刻として成り立たせていると思いました。彫刻と言ったのは、オブジェや工芸と違って、作品がその周りに空間を発生させている、という程度の意味合いです。しかも、膨張する人間的な丸みをもちながら、内部がからっぽであることを隠さないところなど、彫ったり削ったり、あるいは叩きつけたり固めたりして作り上げる見慣れた彫刻では不可能な表現であり、土器的な作り方が現代美術に存分に生かされていると思いました。今後、更に、期待しています。

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 今回DM葉書に男性のヌード写真が使われている。はてこれはなんだろうと不思議に思っていた。画廊に入ってそれが分かった。床に人型が付けられた作品が並んでいる。おそらく阿片が裸になって背中に絵具を塗って紙に押し当てたものだろう。でもよく見ると絵具ではなく土のようだった。陶の作家である阿片だからこれは陶土に違いない。人型といえば、まずイブ・クライン、日本では星野真吾、渡辺晃一などを思い出す。その系譜に続けて阿片の独自性が見えて面白い。

 壁に平面作品が展示されている。これは何かと思ったら、画廊のスタッフによると、阿片が尻で描いた作品だという。具体の作家で足で描いた白髪一雄がいるが、それに倣って尻で描いたのだと。白髪に足で描いている映像があるように、阿片も尻で描いている映像をいつか公開してもらえたら興味深いのに。

 もちろん陶の作品も展示されていた。やけに人差し指が発達したような形を見せている。阿片の自在な展開の行く末が楽しみだ。

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阿片陽介 陶造形展-抽象と参照―

2021年9月13日(月)―9月18日(土)

11:30-19:00(最終日18:00まで)

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藍画廊

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル3階

電話03-3567-8777

http://igallery.sakura.ne.jp/