ギャラリー58の「秋山祐徳太子と東京都知事選許」を見る

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 東京銀座のギャラリー58で「秋山祐徳太子東京都知事選許」展が開かれている(10月9日まで)。秋山は1935年東京都生まれ、昨年4月3日に85歳で亡くなった。1960年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)彫刻科を卒業。工業デザイナーとして大手電機メーカーに勤務した。

 秋山といえば、グリコのランナー姿で走るパフォーマンスや、ブリキの彫刻作品、赤瀬川原平らとの「ライカ同盟」での活躍が思い出される。1994年には池田20世紀美術館で「秋山祐徳太子の世界展」が開催された。

 しかし、何といっても秋山の名前は1975年と1979年の東京都知事選挙に立候補したことで現代美術の歴史に記憶されるだろう。都知事選に立候補と言っても、1975年は16名が、1979年には13名が立候補している。1975年は美濃部亮吉石原慎太郎が激しく争い、美濃部が当選している。秋山は赤尾敏に続いて5位で3,100票を獲得した。美濃部の得票は268万票だった。秋山のキャッチフレーズが「保革の谷間に咲く白百合」だった。1979年の都知事選は鈴木俊一が太田薫を下して当選。秋山は4,100票あまりを獲得して7位だった。この時鈴木の得票が190万票。

 立候補するだけなら毎回10数人が顔を並べている。秋山の非凡なところは、政治的な主張のための立候補ではなく、一種のポップアート、パフォーマンスとして参加していることだ。ポスターを作って貼り、選挙演説を行い、選挙カーを走らせた。泡沫候補と自称しながら、都知事選の立候補者としてそれを完璧に演じ切った。それが現代アートのパフォーマンスだからだ。供託金も安くはないし、ポスター制作や選挙運動はお金がかかる。協力者も必要だ。選挙管理委員会から正式に認定される候補者でありながら、そのことがパフォーマンスであることが重要だった。

 秋山祐徳太子はこの2回にわたる東京都知事選許に立候補したことで、現代美術の歴史にくっきりとした足跡を残したのだ。

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 今回ギャラリー58では、秋山のその都知事選挙に絞って展示を行っている。また、この企画の冊子『秋山祐徳太子東京都知事選挙』を発行している。展示と冊子の編集・発行ともに優れた仕事だと思う。秋山さん、最高の形で顕彰されましたね。

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秋山祐徳太子東京都知事選許」

2021年9月13日(月)―10月9日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)日曜休廊

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ギャラリー58

東京都中央区銀座4-4-12 琉映ビル4F

電話03-3561-9177

http://www.gallery-58.com