原武史『地形の思想史』を読む

 原武史『地形の思想史』(角川書店)を読む。面白く読んだが、題名は少し立派過ぎる。ある土地にまつわる歴史を実際に現地を訪ねてある視点からのみ記述している。訪ねた(取り上げた)土地は7カ所。

 初めに静岡県浜名湖のプリンス岬を訪ねる。それは地元の俗称で、浜名湖の奥、引佐細江の五味半島のことだ。そこにある会社の保養所は、皇太子一家(現上皇一家)が家族のみで夏を過ごした別荘地だった。わずか和室5部屋の小さな家。現天皇が小学生から中学に上がる頃だった。どこへ行っても家族だけの場所を得られなかった一家にとって、ここが唯一のプライベート空間だった。現天皇浜名湖で泳ぎ、地元の小学生と野球をして楽しんだ。

 次は奥多摩を訪ねる。大菩薩峠に近い「福ちゃん荘」に赤軍派53人が集り、首相官邸に突入すべく爆発物を使った軍事訓練を行っていた。しかし山梨県警の機動隊が福ちゃん荘を急襲し、全員が逮捕された。また、戦後すぐ当時の共産党武装闘争方針を採用し、山村工作隊を組織して全国に派遣した。小河内ダム建設に反対して山村工作隊を派遣したが、やはり武装警官に逮捕された。その頃文化工作隊として小河内ダムに派遣された仲間に画家の桂川寛、山下菊二、勅使河原宏らがいた。桂川の体験は、彼の『廃墟の前衛 回想の戦後美術』(一葉社)に書かれている。

 瀬戸内海への旅は岡山県の長島だ。ここには戦前国立らい療養所が作られた。広島県似島には陸軍の検疫所が作られ、帰国した兵士たちの伝染病を検査した。広島に原爆が落とされた後は、被爆者が搬送された。その数は1万人とも言われる。

 富士山麓では宗教施設を訪ねる。まずオウムの上一色村の7つのサティアン、しかしもうどれも跡形すらほとんどない。創価学会が一時属した日蓮正宗総本山の大石寺新興宗教白光真宏会

 東京湾では横須賀の走水神社から対岸の千葉の君津市袖ケ浦市へ船で渡る。古代のヤマトタケルとオトタチバナ姫の伝説だ。東京湾を横断して上総に渡ろうとしたヤマトタケルの船が、海神が起こした波で沈みそうになり、オトタチバナが自ら入水して海神の怒りをしずめた。船は無事上総へ着き、そのオトタチバナの櫛や衣類が東京湾岸に漂着し、そこに吾妻神社が建てられている。それは富津、袖ケ浦、木更津、茂原など各地にある。原は振れていないが、墨田区にも川崎市にもあるのだ。こうなると、吾妻神社はヤマトタケル伝説と関係なく、もっと古い伝承の痕跡ではないかと考えてしまう。所詮地名説話は、地名の後からつけられたものだから。

 ほかに神奈川県のキャンプ座間にある小田急相武台前駅などにまつわる、陸軍士官学校跡地など興味深い歴史が語られる。相武台前駅は私も日産自動車座間工場でプレス工をしていたとき乗降していた駅だった。

 総じて題名とは異なり、軽いが面白い読書だった。なお、原の専門は日本政治思想史だ。

 

地形の思想史 (角川書店単行本)

地形の思想史 (角川書店単行本)