井上ひさし『二つの憲法』を読む

 井上ひさし『二つの憲法』(岩波ブックレット)を読む。二つの憲法とは、明治22年に発布された大日本帝国憲法と、昭和21年に公布された日本国憲法だ。井上はこの二つの憲法を比べている。
 大日本帝国憲法について、井上が解説する。天皇帝国議会を開会したり閉会したり解散したりできる。天皇が勅令を出し、命令を出したり法律を変えたりすることができる。戦争の開始も講和も条約の締結も天皇が行う。これは天皇主権の国であり、民権ではなく君権を基軸とした憲法だと。
 臣民の権利については、居住の自由も信教の自由も条件つき、権利については全部但し書きがつく。民権を表にだしているが、それは見せかけ、民権はすべて制限されている。
 行政府も立法府も裁判所も三権が分立せず、天皇一人に全部権力が集まっている。大日本帝国憲法立憲君主制と言いながらそれは見せかけで、実は絶対天皇制だった。
 昭和20年8月、日本はポツダム宣言を受け入れる。受諾に際して、日本は連合国側に、「ポツダム宣言は、天皇の国家を統治する権利を変えろという要求がないものと了解して受諾しましょう」という文書を送る。連合国側の回答は、「天皇制にこだわっているようだが、天皇制をそのまま続けるか、廃止するかは日本国民が決めるべきことだ」というもの。
 日本占領管理の最高決定機関はワシントンの旧日本大使館に設立された極東委員会だった。その構成委員は、米、英、ソ、中、豪、仏、オランダ、インド、カナダ、ニュージーランド、フィリピンの11カ国、のちにビルマパキスタンが加わって13カ国だった。その第1回会合は1946(昭和21)年2月26日に開かれる。アメリカは日本をアメリカ好みに仕立て上げたいと考えた。しかし極東委員会でソ連が異議を申し立てる前に、新生日本の基本構造を決めてしまおうとした。米国政府とマッカーサーは極東委員会が活動する前に、特高警察を解体し戦犯を逮捕し、公職追放を実施した。憲法に関しては、米国政府とマッカーサーは、占領のコストを節約するために天皇を残し、東京裁判天皇を引き出さないこと、すなわち天皇の免責を決めていた。
 しかし天皇免責となれば、ソ連や中国、豪州やオランダから猛反発をくうことは確かだった。そこで日本人の手によってうんと「民主的な憲法」をつくらせようとした。平和的な憲法を作ればソ連などの追及をかわすことができ、天皇制も温存できると考えた。
 ところが幣原内閣がまとめた憲法草案は大日本帝国憲法と代わり映えのしないものだった。マッカーサーは、これでは天皇の免責は不可能だと考えた。それで連合国総司令部は民生局に憲法草案を作らせた。
 井上は言う。「日本国憲法」の前文の冒頭は、「アメリカ合衆国憲法」の冒頭とよく似ている。「日本国憲法」の中には「パリ不戦条約」があり、「国連憲章」があり、「大西洋憲章」があり、「権利章典」があり、リンカーンの有名なゲティスバーグの名演説「人民の人民による人民のための政治」という民主主義の原則も入っている。これまでの人類がつかんだ、発見した、手に入れた、より人間らしく生きるために役立つ言葉を全部入れてある、と。
 本書はブックレットという小冊子でありながら、中味は濃くとても勉強になった。さすが井上ひさしだ。

 

 

 

二つの憲法――大日本帝国憲法と日本国憲法 (岩波ブックレット)

二つの憲法――大日本帝国憲法と日本国憲法 (岩波ブックレット)