桐野夏生『夜の谷を行く』を読む

 桐野夏生『夜の谷を行く』(文藝春秋)を読む。連合赤軍事件を描いたと評判の作品だ。読み始めて家族小説のような男と女の物語のような展開に戸惑った。凄惨な連合赤軍事件を描くのに、こんなかったるいようなところから書くのか? しかしそれは図を描くための地を作っていたのだった。
 連合赤軍事件を描いているので森恒夫とか永田洋子坂口弘など実在の人物が登場する。しかし主人公の西田啓子は桐野が創作したものだ。連赤のメンバーと一緒に暮らしていたキャンプから仲間の君塚佐紀子と脱走して途中で警察に捕まり5年の刑期を終えた。家族とも縁を切ってひっそりと孤独に生活していた。それが2011年2月5日に永田洋子が獄死したとニュースが流れた。翌月3.11の大震災が起こった。
 そのあたりから西田の近辺に動きが出てくる。後半、一緒に逃げた君塚佐紀子を訪ねて語り合う。あそこで何があったのか、関係者たちの齟齬が明らかになってくる。
 桐野は連合赤軍事件をテーマにミステリを書いているかのようだ。いや、実際にはミステリを書いているのではないので、ミステリとして読めば不満だらけだろう。ミステリとしては書かれてないからだ。それが小さな不思議がたくさんあり、結果として伏線だったことが最後に明らかになる。伏線が回収されたときに、これはまるでミステリだと思うのだ。そういう意味で、これはよく出来たエンタメだ。
 エンタメだと思えばよく出来ているが、あの凄惨な連合赤軍事件を描いた作品としては不満が残る。だが一体連合赤軍事件を小説にすることなどできるのだろうか? もし書くのであれば、事件の細部にこだわらずに事件の木霊のようなところで書くのでなければ不可能なんじゃないかとも思うのだ。立松和平『光の輪』は読む気になれない。坂口弘は2冊の歌集と事件を語った本は読んでいるが。
 連合赤軍事件というのはおぞましい悲惨な事件で思い出すのも苦しくためらわれるが、「人間」の一面であるのは確かで、異常な連中と括って斬り捨てるべきではないだろう。状況によって人はそこまで残酷になるのだ、と。



夜の谷を行く

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