『図説 吉原事典』を読む

 永井義男『図説 吉原事典』(朝日文庫)を読む。知人(女性)があなた、こういうの好きでしょうとくれたもの。いささか誤解されているフシがあるが、とくにこの世界が好きなわけではない。でもせっかくもらったから、某所に置いて毎日少しずつ読んでいた。意外にもなかなかおもしろかった。江戸時代の吉原を詳細に描いている。当たり前だが知らないことばかりだった。
 最初に吉原の街の平面図が示される。完全に周囲を高い塀で囲まれていて、大門からしか出入りができない。遊女は決してここから出られない仕組みになっている。吉原のなかは、江戸町、角町、揚屋町、京町となっている。中央の通りが仲の町という。
 弘化3年の吉原の総人口が書かれている。8,778人、うち遊女が4,834人、世帯数が739軒という。遊女には階級があった。揚代も待遇も極端に違った。最高の遊女は1回12万円ほど、ついで7.5万円、5万円、2.5万円、1万円とずいぶん開きがあった。吉原以外で最低の夜鷹などは蕎麦1杯と同じだったという。つまり千円しなかったのだろう。吉原でも最高の遊女に芸者や幇間も呼んで気前よく祝儀をはずめば1晩100万円も散財することになったという。
 遊女は貧しい農村などから人買いが集めて来た。生活に困った貧農が幼い女の子を3〜5両(30〜50万円)で売ったという。
 売れっ子になる遊女の条件として、「一に顔、二に床、三に手」とある。美貌がもっとも大事で、次いで寝床でのテクニック、そして手というのは手練手管、「泣いてみせたり、切々と訴えてみたり、拗ねてみせたり、妬いてみせたり、甘えてみたり」という。
 このほか様々な風習や独特の仕組みが詳しく語られる。本当に知らないことばかりで興味深く読んだ。それにしても性病が蔓延していたとか、遊女はみな早死にしたとか、悲惨な話が多かった。
 事典となっているが、物語のように読むことができた。


図説 吉原事典 (朝日文庫)

図説 吉原事典 (朝日文庫)