森岡純写真展が始まった


 東京銀座のギャラリー現で森岡純写真展が開かれている(10月24日まで)。森岡は1949年島根県隠岐島生まれ。いままで長くギャラリー檜で個展を続けてきた。
 森岡はいつも日常的な風景を撮っている。人物が登場することはあまりない。街の一角や道路、看板や建物など。だがそれらを中心にすることはない。主題にすることはない。森岡の風景写真は何かずれているように感じられる。構図も何か外しているような印象がある。今までも電柱の根元を撮ったりしていたが、今回も街路灯らしきものの根元を撮っている。
 森岡の写真には普通どんな写真にもあるメッセージがないのだ。写真はふつう報道の写真を典型として、メッセージを持っている。風景写真でも、きれいな風景を見せたいとか、絵画的なそれとか、仰天する自然を見せるとか、写真が何か伝えるべきものを志向している。ポートレートやヌードだってそれは変わらない。ところが森岡の写真にはメッセージが見当たらないのだ。
 すると、一般の写真関係者が森岡の写真を高く評価するのは難しいのではないだろうか。
 森岡は風景写真を撮っているのではない。実は森岡は「もの派」の作家たちの作品を撮影することから写真のキャリアを重ねてきた。その過程で「もの派」から大きな影響を受けてきた。森岡の写真が誰とも似ていない独自のものであるのはそのためだ。「もの派」は土、石、木などの素材にほとんど手を加えないインスタレーション制作を中心に展開された。森岡の写真は、ある種何でもない場所を被写体に選んでいる。その何でもない場所が、選ばれた特権的な場所に変貌した一瞬を捉えているのだ。なんでもない普通の風景のなかに一瞬現れた特権的な映像。写真を使ったもの派の作品。
 だが現代美術関係者から見たとき、森岡の作品は単なる風景写真に見えてしまうのではないかと危惧する。彼らも森岡の仕事の真の意味に気づかない恐れがある。やはり高く評価することができないのではないか。




 森岡こそきちんと見直されるべき現代美術系の作家だと言える。
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森岡純写真展
2015年10月19日(月)―10月24日(土)
11:30−19:00(土曜日17:30まで)
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ギャラリー現
東京都中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F
電話03-3561-6869
http://g-gen.main.jp