銀座ニコンサロンの鷲尾倫夫写真展「巡礼の道 オキナワ」を見る


 東京銀座の銀座ニコンサロンで鷲尾倫夫写真展「巡礼の道 オキナワ」が開かれている(8月27日まで)。鷲尾は1941年東京都生まれ、1960年愛知県国立高浜海員学校を卒業している。海運会社へ勤めた後、1973年に日本写真学園研究科を卒業し、1981年から20年間、新潮社『FOCUS』編集部に専属カメラマンとして在籍した。1991年伊奈信男特別賞受賞。4冊の写真集を出版している。
 個展はニコンサロンを中心に20回近く開いているベテラン報道カメラマンだ。今回のテーマは「巡礼の道 オキナワ」というタイトルが表している。ギャラリーに提示されていた鷲尾のテキストを読む。その内容がすごい!

 2011年1月沖縄の写真家、伊志嶺隆氏の回顧展に呼ばれたことをきっかけに沖縄の歴史に書物で触れた。私は沖縄を遠方から見ていたのか、あるいは背を向けていたのか、全く沖縄に対し知識がなかった事が解り、今までの私の言動を恥じ素直に受け止めた。その体感が沖縄に心を寄せた。沖縄の現状は今も問題が山積みされ、カメラを持つ前の準備を心掛けるも絞り切れず、魚の骨が喉に引っかかったまま海を渡った。太平洋戦争末期、住民を巻き込み、ありったけの地獄を集めた沖縄。米軍上陸地点、慶良間諸島から私の沖縄が始まり、本島は北の本部から南は糸満と歩いた。混沌と動く心の内を、よそ者の私に語る高齢者との出会い、その体験談は想像以上に重くのしかかって来た。穏やかな朝陽の中で庭の畑で人参の収穫をしているオバーに挨拶すると、日本から来たのかと、手を休めた。たわいない話で繋がり家に招かれ縁側に腰を据えた。そこで話題を変え、私の知りたい問いを投げかけると口を閉じてしまった。沈黙は私を観察する目に変わった。オバーは立ち、奥の間に消えた。暫くすると皿を持ち戻ってきた。その上には紅イモがあり、口に合うかねえと差しだした。私は手がでなかった。オバーは目を閉じ、唐突に細い声で、なんでえー、私、生きているさあー、みんな忘れたさあー、人は目をつぶると何も見えなくなるはずなのに私は逆にいろんな物が色付きで甦ってくるさあー。夜空に走る艦砲射撃は花火のようにきれいだったよー、その火が途切れると身を起こし逃げるさあー、目の前には傷つき倒れている人、人で一杯だったよー、と云って手を合わせた。小さな身体は小刻みに震えていた。オバーは私の匂いでも嗅ぐよう顔を寄せ、大きく息つき、強い口調で、人間、とことん追い詰められると、私が私でなくなり、とんでもない事をしでかすのさあー。ぬすんだ生米、口の中でふやかし、周囲を気にして噛む味はさあー、と云い目頭に手を当てた。私、布団に入っても目はつぶらないよ、怖いからさあー、と云い目を薄く開けた。濡れた目は眩しそうに私を見据え、やわらかい声で、カラスがこないねえー、と目の前の山を見上げた。そこに魚の煮付けがあるさあー、カラスはオバーの話し相手さあー、と笑った。長時間揺れる心で話す生の声は歴史本とは異なり、また頭からの言葉と腹底から吐き出す言葉の違いを身をもって実感させられた。別れを告げると、イモを持たされた。すぐオバーの話を書留めた。方言を極力避け、根気よく話してくれたオバーの心情に心打たれ、オバーの心の傷を、私は心に刻んで歩き続けた。

 みごとなインタビューだ。鷲尾は『FOCUS』のカメラマンの体験から録音機材は使わないという。マイクを出した途端、話してくれなくなる。必死に記憶して別れたらすぐメモを取る。重要な点があいまいだった時は戻って聞き直す。写真を撮るときもファインダーだけを覗いて、決して顔をあげて相手を見ることはしないと言う。顔を合わせると表情が変わってしまう。
 写真展ももちろん興味深かった。さすが報道写真のプロの仕事だった。

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鷲尾倫夫写真展「巡礼の道 オキナワ」
2013年8月14日(水)−8月27日(火)
10:30−18:30(最終日は15:00まで)
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銀座ニコンサロン
東京都中央区銀座7-10-1
電話03-5537-1469
http://www.nikon-image.com/activity/salon/
※9月5日〜11日は大坂ニコンサロンへ巡回。