西洋近代絵画の贋作を扱った『偽りの来歴』を読む

 レニー・ソールズベリー/アリー・スジョ『偽りの来歴』(白水社)を読む。副題が「20世紀最大の絵画詐欺事件」と言い、そのとおりの内容のノンフィクションだ。絵画の真贋判定で「来歴」が重視されるというヨーロッパ美術界の常識がある。本書の主人公とも言える「20世紀最大の絵画詐欺」師ジョン・ドゥリュー教授が主導して贋作画家ジョン・マイアットと組んで次々と絵画の贋作を作り、オークション会社や画商を通じてコレクターや美術館に納めていった。
 古い絵を贋作するのは避けて、絵具やキャンバス、紙が古くないものでも怪しまれない近代美術に限った。ベン・ニコルソン、デュビュッフェ、ジャコメッティ、ブラック、ド・スタール、マティス等々。
 ドゥリュー教授は贋作の来歴づくりにきわめて巧妙な手段を弄する。有名な美術館のアーカイヴに合法的に入り込み、偽の来歴を捏造していく。画家と画商の取引記録を偽造し、画商からコレクターへの売買記録を作成する。一流の画商も学芸員も評論家も騙されてしまう。贋作画家マイアットは240点もの作品をドゥリュー教授のために描いている。
 そんなにも多くの贋作が流通していたのだ。しかもその総てが解明されたわけではない。まさに「20世紀最大の絵画詐欺事件」だ。ヨーロッパにおける大規模な贋作事件の詳細はとても勉強になった。日本の滝川太郎事件なんて可愛いものだ。
 そう言う意味では本書は優れたノンフィクションではありながら、読書中落ち着かない気分だったのはなぜか。著者は最初、詐欺師ドゥリュー教授に即して物語を書き進めていく。読者は最初から贋作の現場に立ち会っている。これはまるでフィクションの書き方だ。その叙述方法が読者を落ち着かなくさせるのではないか。
 たしかに犯人に寄り添って叙述を進めていくのは、犯行の方法を詳しく書いて読者にその方法を理解させるのに有効ではあるだろう。著者がこの方法を選んだのは分かる気がする。しかし、それが十全に成功しているとは思えない。とは言え、贋作に関しては本当に勉強になったのだった。
 本筋とは直接に関係ないが面白かったエピソードを2つほど。

 美術の世界を深く知り、講演会の常連講師だったネイハムは、サザビーズの競売・販売部門に17年間勤めた経歴を持つ。一般に、サザビーズは紳士の皮をかぶった商売人でいっぱいで、かたやクリスティーズは、商売人になろうと必死になっている紳士たちの砦だと言われている。

 そうか、一流のオークション会社であるクリスティーズサザビーズがこのように相対化できるのか。
 次に、

 より高名で才能豊かな詐欺師は、朝鮮戦争中に医師として多くの外科手術を成功させたアメリカ人衛生兵フェルディナンド・デマラだ。最小限の教育しか受けていなかった彼は、土木技師、保安官代理、刑務所長、応用心理学博士、弁護士、ベネディクト会修道士とトラピスト修道士、癌研究者、そして編集者など、さまざまな職業を称していた。これらの偽装のどれからも多くの報酬を得ることはなかったが、彼は短いながらも人々から尊敬を得た。きわめて優れた記憶力と卓越した模倣の才能をもった彼は、新しい人格の職務を演じる必要が生じるたびに、教科書でその技能を学びマスターした。1961年の映画「偉大なる詐欺師〔邦題 おとぼけ先生〕」のなかでトニー・カーティスが演じたデマラは、詐欺の動機を「悪戯心だよ、純粋な悪戯心さ」と表現している。身長180センチ、体重160キロの彼は心臓発作に襲われ、1982年に60歳で亡くなった。彼には2つの基本ルールがあった。1つは、立証責任は告発する側にあることを絶対に忘れないこと、そして2つ目は、危機に陥ったときは攻撃に転じろということだ。

「危機に陥ったときは攻撃に転じろ」というのは、私も現実に何度か体験してきた。いや、攻撃した側ではなく、された側だったが。


偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件

偽りの来歴 ─ 20世紀最大の絵画詐欺事件