国立新美術館『与えられた形象』の辰野登恵子を見る


 東京六本木の国立新美術館で『与えられた形象』展を見る(10月22日まで)。画家の辰野登恵子と写真家の柴田敏雄の2人展だ。展覧会のちらしから。

情感に満ちた色彩豊かな画面により、現代日本を代表する抽象画家として、30年以上にわたり第一線で活躍してきた、辰野登恵子(1950生)。山野に見出される土木事業を重厚なモノクローム写真に定着した「日本典型」連作などにより、国際的にも高い評価を受けている写真家、柴田敏雄(1949生)。一見すると、表現メディアも作風も異なっている二人ですが、東京芸術大学油画科の同級生として、在学中はグループ展などの活動をともにしていたという、意外な接点を持っています。(中略)
……とはいえ、二人の芸術には見過ごしにすることのできない共通点があるように思われます。それは外部世界のなかに見出された偶然的な形象から出発しながら、高度な抽象性をもった、造形的に自律した作品を生み出していることです。(後略)

 この「外部世界のなかに見出された偶然的な形象から出発しながら、高度な抽象性をもった、造形的に自律した作品を生み出している」という共通性は、概念的にはそう言えるだろうが、実際の作品では単に表象的にしか共通性はないのではないか。そうすると2人展を企画する必然性がなくなってしまう。それぞれ別々の個展を見せてくれる方が良いのではないか。
 さて、ここでは辰野登恵子についてのみ考察してみたい。1995年に東京国立近代美術館で辰野登恵子個展が開かれた。同美術館最年少の個展として評判になった。辰野45歳、見事な達成だった。
 今回改めて辰野の仕事を見てみた。初期の作品は下手だった。80年代から辰野色が明確になる。辰野の形と色が姿を現わす。90年代に辰野の芸術が最高潮に達する。ちょうどその頃、1995年に東京国立近代美術館で個展が開かれたのだ。
 その後、2000年代から辰野が失速する。描くものを見失っているのではないか。2001年の西村画廊の個展を見ても無惨な印象が強かった。それは抽象画家の陥穽なのかもしれない。浅見貴子も抽象の墨の作品から、樹木をテーマにすることにより、作品が自由な拡がりを持つことができたと言っていた。ただ誰でも一概にそう言い切ることはできないようだ。野見山暁治は複雑な形態を描くことによって、90歳を超えても自由に描いているし、山口長男は抽象に変わって後、壁を感じることがなかったように見える。一方、難波田龍起の抽象はマンネリを脱出できなかったのではないか。
 同様に辰野登恵子もスランプに苦しんでいるように見えるのだ。

 本展覧会のちらしから辰野の作品を見る。右上が1974年のシルクスクリーン、右下が1984年の油彩、左上が1990年のアクリル、左下が1996年の油彩。ちらしの表面の上の作品が2004年の油彩となる。(その下が柴田敏雄の写真作品)。
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『与えられた形象』辰野登恵子・柴田敏雄
2012年8月8日(水)−10月22日(月)
10:00−18:00(金曜日は20:00まで)。
毎週火曜日休館
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国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
電話03-5777-8600
http://www.nact.jp/