「名画の言い分」に脱帽

 木村泰司の「名画の言い分」(ちくま文庫)を読んだ。広告で「西洋絵画は見るものでなく読むものだ」とあり、絵画は見るものに決まっているじゃん、なんでえペダンチックな野郎だと思った。しかし、毎日新聞2011年8月28日の書評欄で高樹のぶ子が絶賛していた。では読むしかなかろう。

 肖像画の開拓者といわれるのが、15世紀のフランドルを代表する画家、ヤン・ファン・エイクです。(中略)
 ヤン・ファン・エイクには『アルノルフィニ夫妻の肖像』というすばらしい作品もあります。(中略)

 まずは窓枠に注目してください。ここに置かれている果物が林檎だったら原罪(人類の堕落)を意味します。オレンジだったら純粋・無罪を意味します。窓の下にはオレンジが描かれていますので、二人が清らかなまま結婚したことを表しているのでしょう。新婦のおなかが大きく見えますが、決してできちゃった婚ではありません。床を見ると、脱いだサンダルが置かれています。サンダルを脱いでいる=聖なる大地に立っている、つまり神聖なる結婚を表しています。犬は結婚のシンボルです。なぜかといいますと、犬は飼い主に忠実だから。おわかりですね。おたがいの愛への貞操の象徴です。
 新婦の後ろにベッドがありますが、これが赤いベッドであることが重要です。赤いベッドであるということは、この二人が本物の夫婦であることを意味しています。(中略)
 天井にはシャンデリアがありますが、蝋燭は1本しか立っていません。アルノルフィニ夫妻がケチだったわけではありません。1本の蝋燭は結婚の象徴です。火が灯っていることから「神は光だ」で、つまり神様もこの結婚の証人であることを意味しています。

 知らなかった。半分も読まないうちに著者に全面降伏していた。

 17世紀のフランスにまいりましょう。(中略)
 日本では、フランス美術といえばロココだ、印象派だ、アール・ヌーヴォーだと思われがちですが、じつはこれらは、芸術アカデミーの基準からすると肯定的でないものばかりです。では何がいいのかと申しますと、そう、ニコラ・プーサンです。
 ニコラ・プーサンは17世紀のフランスの画家で、ローマで活躍した人物です。フランスの美術界が生んだ初のスーパースターでした。ニコラ・プーサンの美の概念をフランスの芸術アカデミーは継承します。ですからニコラ・プーサンを知らずして、フランスの美は語れません。

 18世紀のイングランドの絵画を語って、

 私がロンドンのサザビーズの教養講座で学んでいたとき、とある2流品のオークションにたくさんの肖像画が出ると聞いて、先生に尋ねたことがあります。「自分の先祖でもない肖像画を、いったい誰が買うのですか?」と。先生は大笑いしながらこう答えました。「いい質問ね。ホテルと成金」。ホテルのバーにかけたり、自分の先祖の肖像画など持っていない成金階級が邸宅を購入したときに、さもそれらしく飾るために購入するそうです。

 印象派以降、ようやく絵画を見るのに教養がいらなくなる。感覚が重要になってくる。
 いやあ私は全く何も知らなかった。これからちゃんと西洋美術史を勉強しなければと本気で思ったのだった。
 最後にたったひとつ欠点を指摘すると、図版が小さいこと。無理もない、文庫本の口絵43ページに図版が106点も入れてある。側に画集を置いて読むか、ネットで検索しながら読めばいいのだろう。


名画の言い分 (ちくま文庫)

名画の言い分 (ちくま文庫)