名古屋覚の岡本太郎批判

 東京都現代美術館で行われた「クロニクル 1947〜1963 アンデパンダンの時代をめぐって」のシンポジウムを聴いた。パネリストが池田龍雄、藤井亜紀、木村勝明さんたちだった。これが面白かった。
 最後の客席との質疑応答で、池田龍雄さんに岡本太郎には影響されたかとの質問があった。池田さんが、岡本太郎の絵は良い絵ではなかった、影響は受けていない、話はおもしろかったけどと答えた。
 ちょうど「月刊ギャラリー」5月号に美術評論家名古屋覚の東京国立近代美術館での岡本太郎展の展評「ほとんど見どころない偶像」が掲載されている。これも岡本に対して相当厳しい。

 壁の説明文には、太郎はピカソと「対決し、乗りこえなければならないと考えた」とある。痛い紹介だ。「対決」の結果は誰もが知っている。太郎がピカソを超えたと考える人は世界にいない。「全く違った」のは事実。ピカソのはるか下方にそれていったのだ。それでも、パリ時代に描かれた「空間」「痛ましき腕」などは具象に独特の形態感覚と詩情が加わり印象深く、画面に破綻もない。欧州画家の作品と比べても遜色ない。
 次の「『きれい』な芸術との対決」からが問題だ。1948年の「作家」で画面からつやがうせ、無残なひびが入るようになる。その後は、筆は稚拙で粗雑、色は不透明で平板になる一方、あるのは漫画的な絵柄の面白さだけ。60年代はさらにひどく、ほとんど殴り書き、あるのは勢いだけ。見るに堪えない。

 渋谷駅に展示されている「明日の神話」の下絵に対しても「陳腐な反戦画だ」と手厳しい。そして岡本敏子との関係についても、

 ついでに言えば、太郎の伴侶として知られ、没後も再評価に貢献した「養女」の岡本敏子が展示の最後に紹介されているが、「娘」とそうした関係を持つことを一般には「倒錯」と呼ぶ。

 私も同様の批判を書いてきたが、さすが美術評論家、的確でとても私の及ぶところではない。ただ大意において齟齬はないはずだ。


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