新しい生命観

「生物と無生物の間」や「できそこないの男たち」で人気のある福岡伸一講談社のPR誌「本」にもエッセイを連載しているし、東京大学出版会のPR誌「UP」にもエッセイを連載していて、どちらもとても面白い。「UP」の方は表2(表紙の裏)1ページと短いので、12月号の「万物は流転する」全文を紹介したい。

 生命とは何か? それは自己増複製を行う分子機械である。DNAの二重らせん構造の発見を契機に大発展を遂げた生命科学が到達したひとつの端的な答えがこれだった。遺伝子を組み換える、生殖に介入する、細胞のプログラムを書き換える、臓器(パーツ)を入れ替える。現在ますますその加速度を上げて進められつつある生命操作の通奏低音には、部品の交換可能性に依拠した機械論的な生命観がまぎれもなくある。
 私は一人の科学者を思い出す。ルドルフ・シェーンハイマー。ナチスの靴音に追われてドイツからニューヨークに逃れてきたユダヤ人。最初は満足に英語も話せなかったという。しかしひとつだけ斬新なアイデアを胸に秘めていた。
 生物が食べた分子は、単にエネルギー源として燃やされるだけではなく、瞬く間に全身に散らばり、ひとときその場所に溶け込み、次の瞬間には分解されて身体から出て行く。この事実を同位体アイソトープ)を使って鮮やかに証明した。つまり生命とはプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではない。パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている状態である。ずっと昔から万物は流転することを人類は知っていた。しかし、ミクロな解像度を保ちながら、生命が流れそのものであることをシェーンハイマーは示した。太陽ではなく地球こそが動いていることを言明したコペルニクスに匹敵するパラダイムの転換だった。しかし彼はDNAの発見も知らぬまま自ら命を絶った。シェーンハイマーは私にとって最高のアイドルであり、最大のアンサング・ヒーローである。
※アンサング・ヒーロー=unsung hero(歌われることなき英雄)

 福岡伸一に説得されて、私は臓器移植に賛同することができない。さて彼の新しい著書「できそこないの男たち」(光文社新書)の魅力についてはまた今度。